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2026年5月5日 ペテロの手紙第一1章

  • hccnichigo
  • 5月5日
  • 読了時間: 3分

『生ける望み』


 私たちの望みには、かなわぬ望みがある、それは若年の時に夢見たが達することができなかった望み。日本にいる姪っ子は、大学にあがるまで宇宙飛行士になりたいと夢見ながら、代数幾何学などを勉強したけれども、どうしても壁にぶつかり、文化系に戻ったのですが、東京大学の大学院を先日卒業するほど優秀な姪っ子でも、夢にまでみた宇宙飛行士には手が届きませんでした。 私たちも、それぞれかなわぬ望みがあったことでしょう。これらはみな、死んだ望みです。そうして、やがて私たちの身体さえも、老いてゆき、肉体の死を迎えることになります。人生には、死んでしまう望みに包まれていると言っても良いかもしれません。


 ところが、この世には私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださった方がおられるのですとペテロは、トルコやギリシャ方面に離散したユダヤ人のクリスチャンたちに、確認するように伝えているのがこの手紙です。恐らく離散したのは、アッシリアやバビロンによってイスラエルを追われた民で今でも、異国の地、偶像礼拝が蔓延する中にあって孤立し、孤独であったのかもしれません。そして彼らの中には、主イエスを信じるクリスチャンが細々と生まれていたのでしょう。この手紙を書いているペテロ自身も、離散の民の集まり、どうやらバビロン教会(5:13)の宣教先から書かれた希望をあたえる手紙であることがわかります。この離散したユダヤのクリスチャンに、あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛していて、喜びに満ちているのは、主が復活されたことによって、私たちに生ける望みを持たさせて下さったからですよと、離散したユダヤの民だけでなく、現代の、時として孤立している私たちクリスチャンにも語りかけているのです。私たちは信仰の結果であるたましいの救いをすでに得ていることを忘れないようにとペテロは語り続けます。


 そうして、旧約聖書の言葉を用いて、「あなたがたは聖なる者でならなければならない。わたしが聖だからである。」16節 この聖なる者とはどのような者かも、13節、14節でも表しているのです。それはまず、イエス・キリストを待ち望みながら、心を引き締めること、身を慎むこと、そして主のみことばに従順な子どもであること、肉欲の欲望に従わずに、日々の生活のすべてにおいて聖なる者となるように、と聖なることの内容を具体的に示されました。


 使徒ペテロは、もともとはガリラヤ湖の漁師でした、しかし雇い人もいた、網元だったようなので、ユダヤ教のラビによって、旧約聖書の教えをもともと受けていたのだろうと言われていますが、主イエスからの直々の教えを受けて、さらに深い学びをしたことでしょう。そうして、初代のエルサレム教会の指導的な立場になっていたわけです。それはまさに主イエスによって、生まれ変わった経験をしたからです、そのペテロがここで、あなたがたが新しく生まれたのは、あなたがたは朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る神のことばによるのです。と時代を超えて、私たちにも語って下さっていることに感謝します。


祈り

私たちは、生まれ変わった経験をした者です、どうか聖なる者として、日々の生活に、心を引き締め、身を慎んで、主のことばに従順になり、主イエスの再臨を待ち望む者となれますように。 アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

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