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2026年5月28日 エゼキエル書16章

  • hccnichigo
  • 5月28日
  • 読了時間: 2分

 エゼキエル16章はとても長い章である。ここではエルサレムの町が主の花嫁にたとえられています。今でも、教会は主の花嫁であることがメッセージの中で多々に語られています。


 主は、生まれた時にだれも世話しなかった一人の娘をあわれみ、彼女の汚れを洗いきよめ、美しく育てあげ、契りを結んで花嫁とされたのに、彼女は主を忘れて他国の男性と姦淫を行ったのである。しかも、主はカナン人が住んでいた異郷の町を選んで、豊かな恵みを注ぎ、律法を与えて彼らと正義の契約を結ばれたのである。だが、この町の人々は主を頼らず異国の軍事力を頼るものとなりました。そして、花嫁は主人からもらったお金を貢物として姦淫を行うという恐ろしいことをしたのです。これは、遊女が姦淫によってお金を得るという罪よりも最もおそるべきことだったのです。


 このような罪を主が赦すはずがありません。その結果は、主はこの花嫁を辱められることを宣告されています。彼女が行った偶像礼拝、外国に軍事的な援助を求めた罪ゆえに、最後はその外国に滅ぼされます。主は、彼女が親、姉妹達よりももっと忌み嫌うべき罪を犯したのでさばかれるのでした。


 なんだかドラマを観ている気持ちにさせられますが、現在で私たちクリスチャンにも起こりうることだと思います。すべて欲しいものが与えられた時に陥りやすい大きな落とし穴にたとえられます。過去の苦しかったことを完全に忘れてしまって、大恩人の忌み嫌うことを平気でやらかしてしまいます。日本の諺の中でよく使われていること、喉元過ぎれば暑さを忘れる、恩を仇でかえす、などです。私たちの罪のために十字架につけられ血を流されたイエス様の無償な愛を忘れてしまって、とんでもない横道にはしってしまうことがあると思います。しかし、主は、花嫁自身が心から悔い改める道をも用意してくださっています。主は忍耐を持って悔い改めていく人々を待っていて下さいます。主の深いあわれみは永久までも続きます。


 ハレルヤ、主の御名を心からほめたたえます。十字架の血潮によって私たちを主の花嫁としてくださっていることを感謝します。どうぞ、日々、主が私たちになされたことを覚えて、謙遜な心をもって、主を愛し、他者を愛していくことができますように守って下さい。感謝してイエス様の御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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