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2026年5月26日 エゼキエル書14章

  • hccnichigo
  • 5月26日
  • 読了時間: 3分

『心の中の偶像』


 イスラエルの長老たの長老たちが預言者エゼキエルの助言を求めに来ていた時のことです。主はこれらの者たちは自分たちの偶像を心の中に秘めていると、主から離れていることを諌めています。その偶像がどのようなものかは示されていませんが、実際の異国の偶像を慕っていたのか、それとも富や名声もしくは家紋の誇りだったのかもしれません。この時期のイスラエル人は、先祖が聖なる民、神に召し出された民であるから、つまりイスラエル人であることで、救いを受けるはずと考えていたようです。


 主は厳しく諌めるのです、わたしに対して罪あるものとなって信頼を裏切る、そのような者たちは、わたしの民イスラエルのうちから根絶やしにするとエゼキエルと通じて言い渡すのでした。さらに続けて14節に、理解に苦しむところがあります。「たとえ、そこにノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだー神である主のことば」ここになぜ、三名が挙げられているのか、考えてみましょう。20節でもさらに「たとえ、そこにノアとダニエルとヨブがいてもーわたしは生きている。神である主のことばー彼らは決して息子も娘も救い出すことはできない。彼らは自分たちの義によって自分のいのちを救い出すだけだ。」このように、繰り返し主は語られています。


 ノアもヨブも、旧約時代を代表する義人、主はヨブのことを、わたしのしもべ、誠実でまっすぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている、と呼び、多くの災難をヨブは受けながらも、ヨブは義人として最後まで、主への従順な心を失っていませんでした。ダニエルは、このエゼキエルの時代にバビロンにおいて義人として、神の御声に従った者でした。そのように偉大な三人の義人が一緒だったとしても、彼ら自身は信仰によって救われても、彼らの義は、たとえ彼らの息子であれ、娘であったとしても救い出すことはできない、彼らの義は、それぞれ自分自身の義であり、肉親であろうとも救い出すことはできない、まして、あたなたがイスラエルの民を救い出すこともできないのです。実に主の救いは、信仰を持つ一人一人、個人の救いを示しているのでしょう。


 ここには、描かれていませんが、人間である義人のノア、ヨブ、ダニエル、おそらくアブラハム、ヤコブ、イサクもその中に含まれるのでしょうが、彼らの義では、救えないとすると、どうすれば人は救われるのですかと問いかけたくなってしまいます。


 イザヤ書59:16「主は人がいないのを見て、とりなす者がいないことに唖然とされた。それで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を支えられた。」ここに主の御腕である、御子イエスの姿を垣間見ることができるのではないでしょうが、人の義では救いはできないので、主の御腕であるイエスを、この世に送り込んでくださったのですね。


祈り

日本に住む家族の中で、自分だけがクリスチャンとなりましたが、一人がクリスチャンとなっただけで、家族全体が救われるわけではありません。どうか私を使い、友人たちをも遣われて、彼らの心を開き、福音が伝えられますように。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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