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2026年5月21日 エゼキエル書9章

  • hccnichigo
  • 5月21日
  • 読了時間: 2分

『六人の男と一人の人による民の滅びと救い』


 主があわれみをかけない、惜しまないエルサレムとイスラエルの滅びが述べられています。ここに登場する六人の男と一人の人というのは天使と解釈されています。六人の男は手に武器を持っていました。最後の一人は祭司の服装をして、腰には書記の筆入れを持っていました。主は六人の男に老弱男女、しかも幼子も殺して滅ぼせと告げられています。


 主は、腰に筆入れを持っていた一人の人には、エルサレムで行われているすべての忌み嫌うべきことを嘆き悲しんでいる人々の額にはしるしをつけよと告げられています。つまりこれらの人々は救いの道へと導かれるということです。


 主はどうしてこのような恐ろしいことをされるのでしょうか。その答えが9節に述べられています。民が、「主はこの地を見捨てられた。主は見ておられない」と言ったからです。  そのような不信仰なことに対して、主ご自身も厳しいことを語られています。


「だから、わたしもあわれみをかけない。わたしは惜しまない。わたしは彼らの頭上に彼らの行いを返す。」10節


 主は決して私たちを見捨てられません。絶えず私たちを見守っておられます。主に不信仰になると私たちでもこのようなさばきを受けることになるということでしょう。ただひたすら主を信じて、主の憐れみにすがっていくことが示されました。苦難の中にいる時ほど主を信じるということが試されます。誘惑に陥りやすいです。私も何度もそのことを経験したことがあります。そこから抜け出ることができたのは、主の憐れみにすがって、悔い改めていくことでした。


 天の父なる神様。どんな状況に置かれていても、あなたを信じていくということから決して目を背けることがありませんように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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