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2026年4月4日 エレミヤ書27章

  • hccnichigo
  • 4月4日
  • 読了時間: 2分

 当時のユダの国は、すでにバビロンの支配のもとに置かれていて、周りの国々も同じように圧迫を受け「力を合わせて反逆すれば、この状況から抜け出せるのではないか」という空気が流れていたようです。


 そんな中で、多くの預言者たちは、「バビロンに仕える必要はない」「すぐに回復する」と語っていました。

 しかし、そのような状況の中で、エレミヤは全く逆のことを語ります。


「主は私にこう言われた。「あなたは縄とかせを作り、それをあなたの首に付けよ。」」(2)


 そして、「ユダの王ゼデキヤにも、私はこのことばのとおりに言った。「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。」(12)と語られました。


 正直に思ったのは、これは受け入れがたい…という気持ちでした。バビロンに支配されている中で、さらに「従いなさい」と言われる。普通に考えたら、そこから解放されたいと思うのが自然だと思います。きっと当時の人たちも同じで、「大丈夫」「すぐに元に戻る」と語る預言者のほうに、心が引かれていったのではないかと思います。


 でも神さまは、エレミヤを通して、くびきを負うこと、すなわち「バビロンに仕えて生きること」を示されました。それは厳しい言葉ですが、同時に、その中で生きる道があるということでもあると感じました。

 自分のことを考えても、苦しい状況や納得できない事をかかえてしまうと、どうにかしてそこから逃れたい、早く変わってほしいと思ってしまいます。

 でも神さまは、すぐに状況を変えるのではなく、その中でどう歩むかを見ておられるのではないかと思いました。 安心できる言葉、聞きやすい言葉に、つい心が傾いてしまう自分がいますが、それが、本当に神さまの言葉とは限らないのではないか。むしろ、受け入れにくいけれど、心に引っかかる言葉の中に、神さまの導きがあるのかもしれないと思わされました。

 すぐに理解できなくても、すぐに従えなくても、少しずつ神さまの言葉に耳を傾けていきたいです。そして、自分の思いではなく、神さまの導きを選び取る歩みができたらいいなと思います。


愛する天のお父さま

 受け入れにくい現実の中にあるとき、私はすぐに逃げたくなり、自分に都合のよい言葉を求めてしまいます。どうか、そんな私の心を整えてください。今置かれている場所の中で、あなたが与えてくださる道を見失わないようにしてください。あなたの時を信じて、焦らず、比べず、歩んでいくことができますように。

 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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