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2026年4月30日 哀歌1章

  • hccnichigo
  • 4月30日
  • 読了時間: 2分

 哀歌は、エルサレムの滅亡を嘆いた歌であると言われています。イスラエルが補修となり、エルサレムが荒廃させられた後、エレミヤは座して泣き、エルサレムのために哀歌を作ったと言われているそうです。(新改訳聖書)しかし、作者は当時の無名の詩人だとも言われているそうです。


 20節のみことばに目が留まりました。


「主よ、ご覧ください。私は苦しみの中にあり、はらわたはかき回され、私の心は私のうちで打ちのめされています。私が逆らい続けたからです。外では剣が子を奪い、家の中は死のようです。」20節


 悲しみの絶頂が感じさせられます。自分たちの罪のためにこの罰がくだされました。しかし、このような悲しみの中にいる自分たちを慰めてくれる者が誰もいないことを、2節、9節、16節、17節、21節で五度も告白しています。だからこそ、彼は主に祈ったのです。私たちを慰めてくださるのはただ主のみだけです。苦しみの中にいても大胆に嘆き、ありのままの自分で主に祈ることです。そうすれば、主からの慰めが生まれます。私も苦しみの中にいたことがありました。今思えば、あの時、主に嘆いたのも主からの慰めが生まれるためだったと知った時は感謝の気持ちでいっぱいになりました。


 ある牧師が述べられていたことが心に響きました。


 古代キリスト教会の急成長の鍵は、キリスト者のいのちが、苦しみのただ中でも輝いていたからです。苦しみには、神の救いのみわざを成就する力が秘められています。


 神は、私たちにただ苦しみをあたえられているのではありません。その苦しみを通して、私たちが救われ、慰められるためです。そこには平安と希望がもたらされます。


愛する天の父なる神様。御名を心からほめたたえます。

 苦しみの中にいても、あなたに、私たちが大胆に嘆き、祈ることができますように、そして、そのことによって私たちが慰めと平安、希望を得ることができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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