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2026年4月25日 エレミヤ書48章

  • hccnichigo
  • 4月25日
  • 読了時間: 2分

 私の元ルームメイトは、最近ユタ州にあるモアブという地に引っ越した。よく写真を送ってくるのだが、荒々しい岩がゴツゴツと立っている。何もないところのように見える。


 48章に出てくる死海の東側にあったモアブと言う国も、もしかしてそのような場所なのではないかと思いを馳せた。


 この48章は、モアブに対する神の裁きが中心で心が痛かった。それでも神はモアブを愛しているがゆえに、正義を持って滅ぼしても回復させるという憐れみが描写されている。


42節「モアブは滅ぼし尽くされて、民でなくなる。主に対して高ぶったからだ。」


 モアブは長く安定した繁栄の中で高慢になり、神への畏れを失っていたため、その傲慢さが裁きの理由である。彼らが頼っていた富や偶像は無力であり、人間的な拠り所には限界がある。


 一方で、章の終わりにはモアブの回復が示唆されており、本章は、人間の高慢への警告と、最終的な回復の可能性を併せ持つことが伺える。


47節「しかし終わりの日に、わたしはモアブを回復させる。──主のことば。」ここまでがモアブへのさばきである。」


祈り: 愛する天の父なる神様、

 私たち人間は順風満帆の時は、それが自分の力だと勘違いし、高慢となってしまいます。かつての私がそうだった。私にとって良くも悪しくも、出会う人々、そして物事は、神様が中心で起こるということを忘れがちです。なぜなら神様には御計画があるからである。あなたがいつも中心であるということを日常生活の中で思い出させてください。尊い主イエス・キリストの御名より祈ります。アーメン

文: マッカーター政子

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