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2026年4月24日 エレミヤ書47章

  • 4月24日
  • 読了時間: 3分

すべてのペリシテ人を破滅させる日が来たからだ。その日には、ツロとシドンを、生き残って助ける者もみな、絶ち滅ぼされる。主が、カフトルの島に残っているペリシテ人も破滅させるからだ。(エレミヤ書47章4節)


 ペリシテ人の地はイスラエルの地と隣り合わせにあって、境界線は殆ど入り混じっていました。それで彼らは、隣接の地域に住むイスラエルに対して、絶えず侵入して攻撃し、イスラエルを支配しようとしました。それだけではなく、主が忌み嫌う偶像礼拝や異教の慣習による悪影響をも与えてきました。


 そんなペリシテ人を、神は徹底的に滅ぼそうとされるのです。なぜでしょうか?それはペリシテ人が神に選ばれた民に敵対したからです。エレミヤの時代に、主は我慢できなくなり、遂にエレミヤを通してペリシテ人についての主のご計画を語られました。その計画とは、バビロンの軍勢を「主の剣」として、ペリシテ人の住むパレスチナに送ることです。それがこのエレミヤ書47章です。「主の剣」とは罪を裁く神のみこころであり、その力、またことばです。


 しかしここでは「主の剣」は主の御こころを実現するために主が利用されるバビロンの軍事力でした。バビロンは信仰的にはイスラエルとは全く関係のない民でした。それでも主は御自分の目的のために彼らを使われたのです。主のご計画は、バビロンの軍勢を用いて、パレスチナに住むペリシテ人たちを破滅させ、その果てには彼らの故郷カフトル島(現在の名はクレーテ島)に残っているペリシテ人をさえも破滅させることでした。ペリシテ人を全滅することでした。


 ペリシテ人は主の剣に願いました、「さやに納まり、静かに休むよう」に、自分たちを攻撃することはやめてほしいと。しかしエレミヤは答えました、「主が剣に命じられたのだ」から、主の御心だから、それは不可能なことだと。


 なぜ主はペリシテ人をこんなにも厳しく応対されたのでしょうか。それは、イスラエルの祖先アブラハムに主が告げられた創世記12章1~3節に記されている通りです。「あなたは、 あなたの⼟地、あなたの親族、あなたの⽗の家を離れて、わたしが⽰す地へ⾏きなさい。 そうす れば、わたしはあなたを ⼤いなる国⺠とし、あなたを祝福し、あなたの名を⼤いなるものとする。あ なたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを 祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。 地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」


 主に選ばれたアブラハムとその子孫であるイスラエルを、もしペリシテ人が祝福したのであれば彼らは祝福されたでしょう。しかし、彼らはイスラエルに対して敵対し、攻撃したのです。それ故、彼らは滅ぼされたのです。アブラハムを祝福する者は祝福され、呪う者は呪われるからです。


 考えてみると、この法則はユダヤ人に限ったことではないみたいです。私たちクリスチャンも、霊的な意味では、アブラハムの子孫で、霊的イスラエルだと言えるのではないでしょうか。アブラハムの子孫から出られたイエス・キリストを信じたわたしたちは、神の民とされ、祝福された者で、呪われる者ではなく、鋭い「主の剣」によって滅ぼされることのない者とされました。感謝なことです。


愛する天のお父さま、今日のみことばを感謝します。私たちは弱いもので、知らないうちにでも罪を犯してしまいます。それは本来ならば呪われるものとされ、破滅へと追いやられるはずでした。しかしそのような時、私たちはペリシテ人とは違って、破滅の運命は受けないで、イエス・キリストの十字架の信仰のゆえに祝福され、自分の弱さまた罪を認めて悔い改める時、やり直すことを許してくださるという恵みのゆえに感謝します。アーメン


 
 
 

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