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2026年4月18日 エレミヤ書41章

  • hccnichigo
  • 4月18日
  • 読了時間: 3分

 40章で言われていた通り、イシュマエルが、バビロンがたてた総督、ゲダルヤを殺害した。ユダの王族の一人だったイシュマエルは、自分が総督でないことに反感を持って、アンモン人の王の申し出を受け入れ、将来は自分がミツパを治めることを期待して、ゲダルヤを打ったのかもしれない。ゲダルヤは、暗殺計画があることを事前に知らされていたにも関わらず、イシュマエルと食事を共にした。そしてその場で、彼の部下共々殺された。ゲダルヤのこの無防備さから、もともとイシュマエルが表面上は、ゲダルヤに好意的に接していて、ゲダルヤはイシュマエルとの友好関係を信じていたに違いないと察する。


 そんなことが起きたとは知らない、捧げものをしに主の宮に上ってきたシュケム、シロ、サマリアからの者たちまでも、イシュマエル殺害した。自分の利益のために、だまして近づき、自分を信じている人を平気で殺し、まとめて穴に投げ込んだ。ゲダルヤに対しても、宮に上ってきた人々に対しても、演技で警戒心を解き、おびき寄せて、信じている人を平気で裏切り、殺し、その一人ひとりのいのちが価値のないもののように、一つの大きな穴に次々と投げ入れていったのだ。なんて冷血な話だろう。


 その後、イシュマエルは民の残りの者をみな捕囚にして、アンモン人のところに行こうとしていた。しかしその途中で、暗殺計画をゲダルヤに告げていたヨハナンと高官が出てきて、イシュマエルと戦い、民を奪い返した。イシュマエルは命からがら、アンモン人のところに逃れ、ヨハナン一行は、イシュマエルが総督を殺害してしまったので、バビロンを恐れて、エジプトに逃れようとしていた。


 人間の感情と力、策略、争い、それによって命を落とす人、その光景は現代と変わらない。何を信じたらいいか分からない混乱の状態にあって、唯一確かな存在である、神様と繋がっていられることの恵みを思わされた。


天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。人は罪を犯す存在です。たとえ神様を信じていても、その判断、決断において間違えたりもします。自分の罪によって、または人の罪によっても痛み、苦しみます。それでも、神様の救いを受け入れた私たちは一人ぼっちでそれを味わうのではありません。神様はいつも共にいて下さり、私たちを必要に応じて整え、清め、強めて下さいます。絶望で終わることはありません。そこには、いつも神様の希望があります。なによりも、神様は私たちに天国の希望を与えて下さっています。この地にいると、理不尽だと思うことにも出会いますが、天国に行くとき、この地での疑問は、全部解決するでしょう。大いなる神様がすべてを治めて下さっています。その神様に守られ、今日も希望のうちに生かされていることを感謝いたします。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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