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2026年4月17日 エレミヤ書40章

  • hccnichigo
  • 4月17日
  • 読了時間: 3分

「主からエレミヤにあったことば。バビロンへ引いて行かれるエルサレムとユダの捕囚の民の間で鎖につながれていたエレミヤを、親衛隊の長ネブザルアダンがラマから釈放した後のことである。

親衛隊の長はエレミヤを連れ出して、彼に言った。「あなたの神、主は、この場所にわざわいを下すと語られた。そして主はこれを下し、語ったとおりに行われた。あなたがたが主の前に罪ある者となり、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ。そこで今、見よ、私は今日、あなたの手にある鎖を解いて、あなたを釈放する。もし私とともにバビロンへ行くのが良いと思うなら、行きなさい。私があなたの世話をしよう。しかし、もし私と一緒にバビロンへ行くのが気に入らないなら、やめなさい。見なさい。全地はあなたの前に広がっている。あなたが行ってよいと思う、気に入ったところへ行きなさい。」 しかしエレミヤがまだ帰ろうとしないので、「では、バビロンの王がユダの町々を委ねた、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤのところへ帰り、彼とともに民のうちに住みなさい。でなければ、あなたが行くのによいと思うところへ、どこへでも行きなさい。」 こうして親衛隊の長は、食糧と品物を与えて、彼を去らせた。(40:1‐5抜粋)


 エレミヤは、他の捕囚民たちと共に鎖につながれ、バビロンにあるラマに送られていました。しかしバビロンの親衛隊長ネブザルアダンによって発見され、釈放されます。さらに、このままバビロンに行くか、またはユダの町に残るかという選択肢がエレミヤに与えられました。バビロンに行けば、親衛隊長の保護下で暮らせましたが、エレミヤは廃墟となったユダの町に残る方を選びました。つまり、バビロンでの快適な生活ではなく、苦難の中にある貧しい同胞と共にいることを選んだのです。


 クリスチャンの価値観は、「順風満帆な時」ではなく「逆境の時の選択」に現れるといいます。自分の利益や安全だけを優先するのか、それとも神から与えられた使命や、助けを必要としている人々のそばに留まるのか。神を愛する者なら誰もが、困難を覚悟で神から与えられた使命を全うする、と答えるでしょう。自分よりも助けを必要とする人を優先する、と答えるでしょう。なぜなら、私たちの内には聖霊が内住しておられるため、そのような選びができるのです。しかし聖霊の内住なしに、これらをしようとするなら自己を満足させるだけとなり、心や身体に無理が来ます。またそれらの行いの裏で損得勘定が為されているなら、せっかくの良い行いが誰かを傷つける結果になったりもします。


 エレミヤの姿から、損得勘定を超えた「誠実さ」の大切さを学びたいと思います。クリスチャンだから、という理由ではなく、主の価値観によって生きる者になりたいと願います。


祈り:愛する天のお父さま。世の中は損か得かですべての価値観を決めているように思います。私自身、そのような価値観で生きて来ましたから、よくわかります。しかし今は、あなたの価値観に生きる者とされました。人の価値観ではなく、主よ、あなたの価値観による選択ができますように。主イエス・キリストの御名によって感謝して祈ります。アーメン

文:アイゾン直子


 
 
 

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