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2026年4月14日 エレミヤ書37章

  • hccnichigo
  • 4月14日
  • 読了時間: 3分

『書記ヨナタンの牢屋』


 この37章に描かれている15節にある、エレミアは入れられたヨナタンの牢屋とは、どういう所であったのか。ヨナタンは王室の高官の書記官で、エレミア書を筆記した書記バルクとは正反対で、エレミアを敵視した者でした。 実はイスラエル旅行に行った時に、主イエスが大祭司カヤパの邸宅の地下の牢屋に入れられていたのですが、その高官としてのカヤパ邸宅の庭で、シモン・ペテロに、人々が「あなたもあの人のでしではないだろうね」と問われて、鶏が鳴く前に三度、主イエスを否定したので、この場所に鶏鳴教会として現代では、ローマ・カソリック教会が建っています。そこから、見学者としてカヤパ邸に入り、地下牢として使われていた、垂直に掘られた穴で、昔は水を貯めておく為の貯水槽として、使われていたのです。 エレミアの時代とは異なりますが、構造は恐らく、ヨナタンの牢と同じで、そこに縛られて下されると、身動きできずに、底には泥が溜まっていたりしたそうです。 大祭司カヤパは、主イエスを捕えたものの、民衆が助け出しに来るのではないかと恐れていたと言われています。このような貯水槽の竪穴に、その昔エレミアも入れられていたと想像するわけです。涙の預言者エレミアと同じような境遇であった主イエスが同じように地下牢に入れられたことは偶然ではないと思われます。


 エレミアはゼデキヤ王に対して、エジプトは当てにならない、やがてカルディア人(バビロン)によってエルサレムは攻め取られ、焼かれると主のことばを伝えます。それで、エレミアはバビロン親派と見なされて、ユダの首長たちや体制派から迫害を受けるのです。しかも、ひそかに訪ねてきたゼデキア王に、はっきりと「あなたはバビロンの王の手に渡されます」と伝えるのでした。再び、地下牢に入れられたエレミアは、どのような気持ちで祈っていたのでしょうか。主のみことばを取り繋いでも、誰も受け入れてくれないばかりか、牢獄にまで入れられて、この迫害はいつまで続くのでしょうかと主に不満をぶつけたでしょう。自分の苦しみをそのまま、投げかけながらも、ユダ王国と聖なる民の救いも祈ったのかもしれません。


 自分がカヤパ邸の地下牢を訪ねた時、しばらくの間そこで黙想することができました。いったい、主イエスは、この牢に身動きできずに、少なくとも夜明けまで暗闇の中におられたわけですが、その時に主イエスは、なんと祈られたのだろうかと思ったのです。主イエスは十字架の上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分で何をしているのかが分かっていないのです。」と祈られたのですが、この聖書の言葉は文法的に、「言った」とされているのはギリシャ語の「未完了過去」という日本語には、ない形式で表されていて、これは、何度も繰り返して、イエスが言ったということを表しているのです。


 ですから、自分はカヤパ邸で捕えられている、暗闇の中でも、主イエスは、エレミアのように、なぜこのようなことが自分の身に起こるのかと言うのではなく、十字架の時のように、ここでも「父よ。彼らをお赦しください」と祈ったに違いないと、瞑想するうちにふつふつと、心に浮かんできたのでした。


祈り

エレミアの牢獄入りと主イエスのカヤパ邸の牢を比べて、考えさせられたことに感謝いたします。イエスと同じ区間を味わうことができました経験に、心から感謝いたします。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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