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2026年3月10日 エレミア書2章

hccnichigo
3月10日
読了時間: 3分

『どうして悪いぶどうに変わったのか』


 昔、娘たちが育ったワシントン州のシアトル郊外の町に住んでいた頃は、森に囲まれていて、夏場になるとブラックベリーが、至る所で雑草のように増えて、散歩の合間にブラックベリーを摘んでいたので、ハワイでお金を払って買う気にどうしてもなれないほどブラックベリーがただで食べていたことを思い出しました。そして隣の家では、家庭菜園でぶどうとラズベリーを育てていました。しかし、ぶどうの木は、放っておくと枝がどんどん伸びていきますが、食べられないような小さい実しかなりません。やはり、手をかけて、剪定したり、土に栄養を与えたりして面倒を見てあげた上に、良い気候に恵まれることも必要で、意外と手がかかるぶどうの木であることは間違いなさそうです。


 イスラエルの民のことを、聖書では良く、この手間かけて育て上げるぶどうの木に見立てられているわけですが、この2章では、父なる神が、せっかく純種の良いぶどうとして植えたイスラエルの民が、どうして、質の悪い雑種のぶどうに変わってしまったのかと嘆いておられる姿をみるのです。あなたの咎は、汚れたままだと嘆いておられます。この背景には、エルサレムの民が、周りの大国からの脅威にうろたえて、エジプト王国を頼ったり、アッシリア帝国を頼ったりして、肝心の、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主の力を頼ることをしない民のことを嘆いておられるわけです。32節「おとめが自分の飾り物を、花嫁が自分の飾り帯を忘れるだろうか。しかし、わたしの民はわたしを忘れた。」ここに主の嘆きが見られ、同時に背きの罪にあるイスラエルの民、いやそれだけでなく、主に背いて生きている私たちや私たちの同胞である日本人の姿にも見えるのです。そうして警告をされています。36節「あなたはなんと簡単に自分の道を変えることか。アッシリアによって恥を見たのと同様に、あなたはエジプトによっても恥を見る。」罪というヘブル語の言葉は、三つの代表語があるそうです、ひとつは的を外す(ハッタート)神の基準から外れること、次に曲がり、ねじれをしめす(アーヴォン)、私たちの心の中のゆがみ、ねじれを示す言葉です。そしてこの章にあります、神への背きが(ペシャ)かありますが、背き、神に背を向けることが罪であります。 今、イザヤ書を聖書の学びでしていますが、イザヤ1章に出てきます、神の法廷の様子の中に、イスラエルの反逆、契約違反ということでペシャが使われています。


 しかし、この2章では記されていませんが、そのように主に背いた民であるイスラエルに対して、厳しい苦難をくだされますが、それでも民を愛してやまない、なんとか罪と咎の赦しを与えてあげようとされる、そのような主を私たちは信じていることに希望と平安があるのではないでしょうか。


祈り

私自身のことを思うと、確かに質の悪いぶどうの木でありました、どうか主が植えられた良いぶどうの実を、聖霊の実を実らすことができますように、自分の力ではなく、聖霊の力による知恵と喜びと寛容の力をお与えください。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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