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2026年2月28日 ヘブル人への手紙10章

  • hccnichigo
  • 2月28日
  • 読了時間: 2分

 私は最近、罪悪感に陥る時があり、10章で背信の危険性が書かれている26-27節が私の胸に「グサッ」と刺さった。背信という言葉を調べてみた。キリスト者が、真理を捨てて信仰を放棄し、神やキリストの教えに敵対する行為、だそうだ。


 クリスチャンの友人に相談すると、『「罪悪感」は敵が一番喜ぶのでやめなさい』と教わり、大変ホットしたものだ。ああ、持つべきものはクリスチャンの兄弟姉妹と、感謝し実感する。


26節「もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためには、いけにえは残されておらず、」

27節「ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、おそれながら待つしかありません。」


 だが、17節で、「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起さない」と言われ、大変有難く、聖書に書かれているのでもっとホッとしたものだ。


 この章は、イエス様がお生まれになる以前の旧約時代は、動物のいけにえ(影)を持って自分の罪を贖って頂くという律法であったが、それは不完全である。新約時代(現在)のキリストの十字架(実物)がこそが永遠の罪の赦しをもたらす「唯一のいけにえ」である、と解説されている。(1節)


 イエス様の血によって神へ近つく確信を持ち(19ー25節)、信仰の歩み、愛と善行、集会への参加を忍耐強く続けるよう(26ー36節)勧めている。


1節「律法には来るべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず捧げられる同じいけにえによって神に近づずく人々を完全にすることができません。」


19節「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖女に入ることができます。」


23節「約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。


天の父なる神様、

どうぞ大胆に希望を告白するものとさせて下さい。御言葉の防具を身につけさせてください。たくさんの人々が、真理であり道であるイエス様を受け入れられますように、御名により祈ります。

文:マッカーター政子



 
 
 

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