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2026年10月2日 マタイの福音書15章

hccnichigo
6 日前
読了時間: 3分

「その頃、パリサイ人たちや律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て言った。「なぜ、あなたの弟子たちは長老たちの言い伝えを破るのですか。パンを食べるとき、手を洗っていません。」 そこでイエスは彼らに答えられた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを破るのですか。神は、『父と母を敬え』、また 『父や母をののしる者は、必ず殺されなけれらばならい』 と言われました。それなのに、あなたがたは言っています。『だれでも父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は神へのささげ物になります、と言う人は、その物をもって父を敬ってはならない」と。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために神のことばを無にしてしまいました。偽善者たちよ、イザヤはあなたがたについて見事に預言しています。『この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを礼拝しても、むなしい。人間の命令を、教えとして教えるのだから。』」 イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。口に入る物は人を汚しません。口からでるもの、それが人を汚すのです。」

「口に入る物はみな、腹に入り、排泄されて外に出されることが分からないのですか。しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしりは、心から出て来るからです。これらのものが人を汚します。」(1‐20抜粋)


 冒頭に出て来る「長老たちの言い伝え」とは、パリサイ人によるモーセ律法の解釈(口伝律法)のことです。モーセの律法というと十戒がありますが、実は全部で613もの細かな規定があり、民はそれらを犯さずに過ごす日など1日たりともありませんでした。そこで律法学者たちは、安息日にはどのような行為が仕事にあたるのか、食事の前の手洗いや器具の清めをどう行うか、など、モーセの律法を完璧に守るための詳細なマニュアル(垣根)を作ったのです。作った、といっても聖書時代はまだ書物にはなっておらず、言い伝えにとどまっていました。もともとは忠実に信仰を守るために作られた良いものだったのですが、それがいつしか、みことばよりも権威を持つようになりました。そのため、「自分たちの言い伝えのために神の戒めを破っている」とイエスは指摘されたのです。


 食事の前に手を洗うという律法の規定は、パリサイ人たちの目にはとりわけ神聖なものとして映っていたそうです。言い伝えによれば、「食事の前に手を洗わない者は、殺人者と同じくらい悪い」と記されているようです。しかしこれは衛生的なことを考えているのではありません。あくまでも「きよめの儀式」としての手洗いです。


 イエスは、言い伝えを重んじる彼らに向かって、「自分たちの言い伝えのために神の戒めを破るのですか。」と言われた後、「口に入る物は人を汚しません。口からでるもの、それが人を汚すのです」と言われました。イエスは彼らの形式主義を一蹴し、聴衆に対して、何よりもまず心のきよさを重んじるよう告げられたのです。


 私は、このところ教会の礼拝に行けていないことに対して、クリスチャンとしてこれでいいのか、といった罪意識をどこかで感じています。しかし主は、形式的な礼拝など望んではおられませんでした。信仰者としての道を歩み始めた頃、礼拝はもちろん、奉仕や献金など、教会員としての義務を果たすことで、自分はこれでクリスチャンだと安心していました。しかしそうではなかったのです。礼拝も奉仕も献金も、すべて良いものですが、それらは義務ではないのです。喜んでささげているかどうかを、神は見ておられるのです。


祈り:愛する天のお父さま。主よ、あなたは常に私の心を見ておられるお方です。どうぞ、みこころを行うことができますよう、助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン                                       

 文:アイゾン直子


 
 
 

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