top of page

2026年1月8日 イザヤ書29章

  • hccnichigo
  • 1月8日
  • 読了時間: 2分

 29章の冒頭にでてくる御言葉、「ああ、アリエル、アリエル」の呼びかけのアリエルの意味は、「ああ、イスラエル、イスラエル」という意味ともう一つは「祭壇の炉」であると言われています。その御言葉にふれられた時に示された聖句は、マタイ23:37、ルカ13:34である。そこには、神の選民であるイスラエルが神の招きを無視して、預言者を殺し、イエス自身も拒絶したことに対する神の深い愛と悲しみが述べられています。


 「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。私は何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。」 マタイの福音書23:37


 そして、その結果どうなったかというと、

38節で、「見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。」さらに、

39節で、「わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」と厳しい警告が述べられています。


 イザヤは、それでも、主の憐みがどれだけ深いかも語っています。耳の聞こえない者や目の見えない者でも、見たり聞いたりできるようにしてくださると、イザヤは救いの希望を高らかに預言するのである。なぜなら、この国がアブラハムとヤコブの子孫だからです。神は、彼らと結ばれた契約は決して取り去られるようなことをされません。神は約束に忠実なお方だからです。


 神は、私たちにも忠実なお方です。イエスの十字架の血潮により罪から解放されるという約束は決して変わることがありません。日々、主の憐れみにおすがりして、心のそこから真実に主に感謝して主の胸にとびこんでいきたい者としてなったいくことだと思います。




 愛するご自愛深き天の父なる神様。私たちが、日々、心のそこから真実にあなたを敬い求めて、感謝して、祈り、委ねていくことができますように助けてください。そして、他者のために心のそこから真実に祈り、支えていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年1月22日 イザヤ書43章

イザヤ書43章は素晴らしい御言葉が多くでてきます。なかでも私の心に留まる御言葉は、4節と25節です。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」4節 「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、   もうあなたの罪を思い出さない。」25節  洗礼をうける決心ができたのもこの御言葉である。このような罪深い自分の罪をぬぐい去り、その罪を思い出さない

 
 
 
2026年1月21日 イザヤ書42章

この章は、ユダの民が、バビロン捕囚から解放され、神の都エルサレムに帰還する喜びを描いています。その解放は、この先のメシヤの到来の喜び、さらには再臨の喜びにまで重なって行きます。 「傷んだ葦をおることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。」(3)  1節から4節は、メシヤ預言です。3節の御言葉は、マタイ12章20節に引用されています。  「傷んだ葦」 草履や屋根など様々

 
 
 
2026年1月20日 イザヤ書41章

『恐れるな。わたしがあなたを助ける』  イザヤの時代から約150年先に起こるバビロン捕囚(BC587年)の70年間は、ユダヤの民、エルサレムにとっては、屈辱の時、神への信頼が揺らぐ時でもありました。しかし、イスラエルの歴史を見ると、この時以来、徹底的に偶像礼拝を忌み嫌い、律法を守ろうと努力することになったのです。異教の地で、イスラエルの神を拝むために、ユダヤ人会堂(シナゴーグ)の原型が起こされて、

 
 
 

コメント


bottom of page