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2026年1月2日 イザヤ書23章

hccnichigo
1月2日
読了時間: 3分

「ツロについての宣告。タルシュシュの船よ、泣き叫べ。ツロは荒らされて家もなく、そこには入れない。キティムの地から、それは彼らに示される。海辺の住民よ、黙れ。海を渡るシドンの商人はおまえを富ませた。大海原で、シホルの穀物、ナイルの刈り入れがおまえの収穫となり、おまえは諸国の商いの場となった。「シドンよ、恥を見よ」と海が言う。海の砦がこう言っている。「私は産みの苦しみをせず、子を産まず、若い男を育てず、若い女を養ったこともない。」このうわさがエジプトに達すると、人々はツロのうわさを聞いて、激しくもだえる。海辺の住民よ、タルシュシュへ渡って、泣き叫べ。これが、おまえたちが誇りとした町なのか。その起こりは古く、人々はその足で遠くに行って移り住んだのに。だれが、王冠を戴くツロに対してこれを図ったのか。その商人は君主たちで、その貿易商は地で最も尊ばれていたのに。万軍の主がそれを図り、すべての麗しい誇りを汚して、地で最も尊ばれている者をみな卑しめられた。娘タルシュシュよ、ナイル川のように自分の国にあふれよ。もうこれを制する者はいない。主は御手を海の上に伸ばし、王国を震わせた。主はカナンについて命令を下し、その砦を滅ぼし尽くした。そして言われた。「もう二度と喜び躍るな。虐げられたおとめ、娘シドンよ、立ってキティムに渡れ。そこでも、おまえは休めない。」見よ、カルデア人の地を。この民はもはや存在しない。アッシリア人がこれを荒野の獣のものとして定めた。彼らは、自分の見張りやぐらを立て、宮殿をかすめて、そこを廃墟とした。タルシュシュの船よ、泣き叫べ。おまえたちの砦が荒らされたからだ。その日になると、ツロは七十年間の間、忘れられる。一人の王の生涯ほどの期間である。七十年が終わると、ツロは遊女の歌のようになる。「竪琴を取り、町を巡れ。忘れられた遊女よ。うまく弾け、もっと歌え。思い出してもらうために。」七十年の終わりに、主はツロを顧みられる。彼女は再び遊女の報酬を得て、地のすべての王国と、地の面で淫行を行う。その儲け、遊女の報酬は、主の聖なるものとなる。それは蓄えられず、積み立てられない。その儲けは、主の前に住む者たちが食べて満ち足り、上等の衣服を着るためのものとなるからだ。」


 ツロは貿易で非常に栄えた国で、当時の世界経済の中心でした。人々は「お金があるから安全」「商売がうまくいっているから大丈夫」と考えていたようです。神はこのツロに対して、繁栄が終わることを告げられます(9節)。商売や富そのものが悪いわけではありませんが、神を忘れ、富に頼り、それを自分たちの誇りとしていたことに、彼らの問題がありました。ツロは主のさばきによって一度衰えますが、やがて回復し、再び富を得ます。しかしそれらの富は彼らの蓄えにはならず、その報酬は主の聖なるものとされ、主の前に住む者たちのために用いられることが宣告されました(18‐19節)。


 ツロのように、お金や仕事といった経済的安定が、安心の土台になっていないかを問われたように感じました。ヨブ記1章21節のみことばが思い出されます。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」神への信頼が安心の土台となっているなら、たとえすべてを失ったとしても、「私は主の御名をほめたたえます」と賛美できるのだと思いました。


祈り:愛する天のお父さま。イザヤ書23章を通して、天地を創られ、すべてを支配されるあなたに愛されている者が、この世の富に左右されてはいけないと戒められた思いです。主よ、あなたが私の安心の土台です。みことばを信じる信仰を与えてくださり、本当にありがとうございます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:アイゾン直子


 
 
 

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