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2026年1月17日 イザヤ書38章

  • hccnichigo
  • 1月17日
  • 読了時間: 2分

 ヒゼキヤは重篤な病に伏していた。激しい痛みに夜も眠れないほどだった。そこに預言者イザヤが現れ、その病は治らない、あなたは死ぬと告げられる。衝撃を受け、ヒゼキヤは神に祈り叫び、大声で泣いた。すると、イザヤに神様からことばが与えられた。ヒゼキヤは延命され、国も守られると。


 ヒゼキヤが病から回復したのちに記された詩によると、それまでもヒゼキヤは病床で苦しみつつも、神様を求め、祈ってきたことが分かる。その祈りに応えるために神様がイザヤを送って下さったのではないかと思った。

 

 神様は自然と病を癒すこともおできになるのに、イザヤを送ることによって、このことが確かに神様によるものであることを明確にお示しになり、しるしまで見せて下さった。このしるしは、神様がヒゼキヤと共にいる、大丈夫、あなたの祈りは神様に届いている、すべてを司り治めているのは神様だというメッセージでもあったのではないかと思わされた。それがヒゼキヤののちの詩に繋がったのではないかと思わされた。


 詩の中で「ああ、私の味わった苦い苦しみは平安のためでした。」と記している。ヒゼキヤは、この苦しみを通して神様と深く出会い、神様を知り、神様が自分の保証人となっていのちを救い、罪を赦して下さったことを悟った。国も自分の体も全部神様が治めて下さっているのだ。このことが彼にとっての平安となった。


 私はこのところいろんなことをお祈りしてるが、願う形にならなかったもの、祈っても何の変化も見られないもの、そんなものが多くて、神様よりも目に見えるものに惑わされつつあった。でも、ある方に対する祈りで、不可能に見えたものが可能となったことを見た。このことでとても励まされた。神様は私たちの祈りを聞いていて下さっている。神様の時に神様の最善が成ると、また信じる力となった。


 愛する天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。長いこと祈っていることがあります。祈る力を失うこともありますが、こうしてみことばを通して、また生活の中で起きる出来事を通して、あなたはまた祈り続ける力を注いでくださいます。そのことこそが、神様が関与して下さっている証です。祈りの応えを待っている間にこそ、神様からのメッセージが隠れていることがあることを思わされました。今与えられている状況を感謝して、大切に生きることができるように支えて下さい。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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