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2026年1月12日 イザヤ書33章

  • hccnichigo
  • 1月12日
  • 読了時間: 3分

『荒らす者の運命』


 この33章は、「わざわいだ」という言葉から始まる通り、人を踏みにじったり、強奪して利益を得る者、賄賂を受け取る者、横柄な民、これらの者はわざわいで、その者たちのだれが焼きつくす火に耐えられるかと説いていると共に、荒廃するユダの町、大路は荒れ果ててしまう姿も描いていて、神との契約は破られて、町々は捨てられると預言しているのです。しかし、それだけでは終わらずに、同時に希望も示されています。10節「今、わたしは立ち上がる。ー主は言われるー 今、わたしは自らを高く上げ、今、わたしは自らを高める。」 とまるで主イエスの訪れを予表しているような一節もあるのです。


  1月から新約聖書から視るイザヤ書の学びが始まりました。イザヤの生涯は、愛する民から受け入れられずに、悔い改めとユダのわざわいを預言するのですが、民の心は鈍く、その目は堅く閉じていて、立ち返って癒されることもありませんでした。嫌われ者の預言者だったので、イエスの生涯に重なることが多いのです。


 旧約聖書に登場する数々の預言者たちは、聖なる民であるはずのイスラエルの民が、自分自身の幸福、この世の祝福を求め過ぎて、神から離れてしまった時に、預言者が送られ、悔い改めを勧めるのですが、やがて北王国イスラエルと南王国ユダとに分裂し、仲違いしてしまう中で送り込まれて来ています。しかし、悔い改めをしない民をアッシリア帝国やバビロン帝国を用いて、神殿も破壊され、民は離散の目にあうのですが、主は「今、わたしは立ち上がる」と将来の約束をされているのです。しかし、神の愛するユダヤの民を荒らす者の運命も定められていると預言するのです。そうして荒廃する中から、神の慰めによって、やがて荒廃するも、残れる者がおり、主の日、世の終末において祝福をうけるとの希望も語られています。22節「まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちに法を定める方、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。」そうして、救われる者は、どのような者かというと15節から16節に 「義を行う者、公正を語る者」救われる者たちは、神の義をこのわざわいの世で行う者たちは、救われると約束されています。しかし、人を裏切り、踏みにじる者は、やがて自分自身が踏みにじられ、裏切られることになるのです。


 父なる神が、この世の人を救い出すために、御子イエスを、私たちが理解できるように、人となって送られてきました。これは神の愛のしるしです、そして永遠の神の愛は、限りなく深いほど、神の怒りは激しい焼き尽くす火となってしまいますので、主を恐れることは、その財宝であると語られています。人が神に救われたいとするのが、律法とすれば、神が人を救おうとされるのが福音となるのです。


祈り

どうか私たちは、聖霊の力によって、義を行う者であり、公正を語る者として、この世で生きることができますように、私たちを導き続けて下さい。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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