top of page

2025年9月8日 詩篇第126篇

  • hccnichigo
  • 9月8日
  • 読了時間: 2分

『喜びの刈り取り』


 主がシオンを復興してくださった時と、この詩篇は始まります。エルサレムが復興したのは、バビロン捕囚されていたユダヤ人たちが、紀元前538年、ペルシャのクロス王よって、預言されていた通りに70年の苦難の後、エルサレム帰還が許されました。


 この預言、イザヤ書40章2節「エルサレムに優しく語りかけよ。 これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と」 二倍とは長子が他の息子に比べて相続する量のことで、エルサレム(稚名シオン)は二倍のものを父なる主から受け取ると、バビロン捕囚の150年ほど前の預言者イザヤによって語られていたのです。 そうして、70年という捕囚の期間については、同じく、捕囚が始まる前の預言者エレミアによってエレミア書29章10節「まことに、主はこう言われる『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。』主がシオンの繁栄を回復されたのです。


 しかし、この時代のイスラエルの歴史を良く見ると、クロス王によってのエルサレム帰還は、決していっぺんにスムーズにされていたのではなくて、初めに帰還したユダヤ人は少数で、やがて何度かに分けて帰ってきましたが、城壁が直されるのも時間がかかりましたし、さらに神殿が立て直されるのには、もっと時間がかかったことが分かります。

  

 そのような遅々として進まぬイスラエルの回復を、待ち望んでいたこの詩人は、戻ってきたイスラエルの民たちに、もう一度、捕囚から故郷へ、あのシオンに初めて戻ったきた時の初心を思い出すようにと語りかけているように思います。


 私たちは喜びで満たされたではないか、涙して種を蒔いた者だったけれど、喜び叫びながらシオンに戻ってきたではないか、どうか初めの喜びを思い出そうではないかと訴えているのではないでしょうか。


祈り

私たちHCCも、これから将来のために隣接するマウカハウスの建て直し計画があります。次世代にむけて種を蒔きましょう、苦難がともない涙するかもしれませんが、喜びの刈り取りに向かっていることを覚えましょう。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月5日 テモテへの手紙第一5章

「やもめの中の本当のやもめを大事にしなさい。もし、やもめに子どもか孫がいるなら、まずその人たちに、自分の家の人に敬愛を示して、親の恩に報いることを学ばせなさい。それが神の御前に喜ばれることです。身寄りのない本当のやもめは、望みを神に置いて、夜昼、耐えず神に願いと祈りをささげていますが、自堕落な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのです。彼女たちが非難されることのないように、これらのことも

 
 
 
2025年12月4日 テモテへの手紙第一4章

「神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。」4節 「神のことばと祈りによって、聖なるものとされるからです。」5節  これらの御言葉を読んで示されたことは、神が造られたものを捨てることが多いのに気づかされます。要するに必要以上にものを買ってしまうことが捨てる原因になるのです。実に神の造られたものを無駄にしてしまっていることに悔い改めの気持ちが起こされま

 
 
 
2025年12月3日 テモテへの手紙第一3章

テモテへの手紙は、「牧会書簡」と呼ばれ、教会の歩みにおける具体的な勧めが記されています。  3章おいては、監督職に就く者の資質について、続いて執事に就く者の資質について記されています。この監督職とは、長老職、牧師職と重なる部分もありもあり区別が明確ではありませんが、教会におけるリーダーとしての立場であることは間違いありません。執事とは、おそらく教会の実務を担当する者たちであったと思われます。  い

 
 
 

コメント


bottom of page