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2025年9月3日 詩篇第121篇

  • hccnichigo
  • 9月3日
  • 読了時間: 2分

 多くの人がこの詩篇を愛唱してきました。


「私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。」(1)


 この詩篇は「都上りの歌」と表題にあるように、巡礼の歌です。イスラエルの民は祭りを祝うために神の都エルサレムまで、何日も過酷な旅をして来るのです。

 行きの道は祭りに向かうわけですから足取りも軽いかもしれません。しかし祭りが終り、これから帰路に発つというとき、何とも心も足も重く感じてしまうような感覚があったと思います。

 彼らの目の前にある「山」とは、緑豊かな山ではなく、険しく渇いた荒野なのです。彼らは、これから荒野に向かって過酷な旅に出るのです。


 そんな中で、思わず「私の助けは どこから来るのか」と叫ぶのでしょう。それに対して、巡礼者を見送る祭司たちがコール&レスポンスのようにして応答するのです。

「私の助けは主から来る。天地を造られた方から」(2)


 私たちも人生の荒野を旅する旅人です。目の前には荒野という山が立ちはだかっていることもあります。思わず足がすくむよう、ため息が出るような、不安が襲ってくるような、そんな状況に置かれることもあります。

 しかし主は、そんな私たちに「あなたの助けは天地を造られた主から来る」と応えてくださるのです。

 荒野に向かうとき、私たちは一人ではなく、主がその旅路を共に進んでくださるのです。天地を造られた主が私たちを助けてくださるのです。


「主はあなたを 行くにも帰るにも 今よりとこしえまでも守られる。」(8)


 この主に信頼し、人生の旅路を歩んでいきたいと心から思います。


 天の父なる神さま

 私たちは、人生の荒野を旅する旅人です。しかし、この荒野の中にも主は共にいてくださり、共に歩んでくださることを感謝します。あなたの御手に支えられてこれから歩んでいきます。どうぞ天地を造られた主が、どんなときも私たちを助けて守ってください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

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