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2025年8月28日 詩篇第115篇

  • hccnichigo
  • 8月28日
  • 読了時間: 2分

 詩篇第115篇は過ぎ越しの祭りで歌われたハレルヤ詩篇の一つと言われています。イスラエルの民を救出された神が偶像の神々とどう違うかを示しています。


 2節から8節は偶像の神々を信じることのむなしさが書かれています。人の手で造られた神々は、たとえ銀や金でできても、語れず、見えず、聞こえず、嗅げず、さわれず、歩けず、声をたてることができない、等々が何一つできません。人の手で造られたものは、必ずいつかは滅びるものだからです。


「私たちの神は天におられ その望むところをことごとくおこなわれる。」3節


 私たちの真の主なる神は目には見えませんけれど、決して永遠に滅びることがありません。確かに私たちは目に見えるものに心をひかれます。トマスもそうでした。イエス様が復活された時に弟子たちの前に現れた時にトマスはそこにいなかったので、イエス様の手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じないと言いましたそしたら、イエス様はトマスにそのようにさせられたのである。

そして、イエス様はトマスに言われた


「信じない者ではなく、信じる者になりなりなさい。」ヨハネの福音書20:27(抜粋)


「イエスは彼に言われた。あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」ヨハネの福音書20:29


 人の造った偶像礼拝に心を動かされる時に覚えておきたいことは、いつかは朽ちて滅びてしまうことで、永遠なものではないということではないでしょうか。


 天の父なる神様。私たちが目に見える偶像に心がうばわれませんように、目にみえない真の神を信じ、ほめたたえていくことができますように導いてください。あなたの御名に栄光をあらわすことができますように用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン 


 
 
 

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