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2025年8月26日 詩篇第113篇

  • hccnichigo
  • 8月26日
  • 読了時間: 2分

『主をほめたたえよ』


 この113篇と続く114篇は、ユダヤの国で、過越の祭りの食事の時に歌われた賛美と言われています。きっと主イエスも、最後の晩餐と言われている過越の食事の時にも、弟子達と一緒に歌われたことでしょう。そもそも過越の祭りは、奴隷であったユダヤの民が、救われたことを祝う祭りですから、この詩篇のように、貧しい人を救い出す神を讃える歌が選ばれたのではないでしょうか。


 マタイ26章30節「そして、彼らは賛美の歌を歌ってからオリーブ山へ出かけた。」とあります。その時にどの賛美をしたのかは書かれていませんが、詩篇113篇から118篇は、ハレルヤ賛美と呼ばれていて、この中のどれかから歌われたと言われています。


 私たちの教会でも、賛美を重視して、確かに自分も賛美の時、心から喜びが湧き上がってくる経験をしている人は多いと思います。私たちが天に挙げられる時は、お金も、何もかも地上の物は持ってゆくことはできませんが、この賛美だけは天に持ってゆくことができるのではないでしょうか。

 

 詩篇は多くの場合、嘆きからはじまる詩ですが、ここでは初めからハレルヤ、主をほめたたえよと何度も繰り返されています、あたかも天へ昇る前の喜びを伝えようとしているように感じるのです。そして、すべての国々の上におられる主が、人の姿となって、身を低くされて、私たちと同じように下界に降りて来られて、私たちに御子イエスを送ってくださいました。これこそ、本当にハレルーヤです。


 ところで、BIBLEという字を、こう書き換えた説明を思い出します。

(B)Basic 基本的な (I) Instruction 説明書 (B)before 前に (L)Leaving 去ってゆく(E)Earth 地球を


 私たちが罪の奴隷であることを自覚せずに、闇の中で生きている姿を見て、憐れみの心、慈愛をもって、世の光である御子が送られましたが、同時に私たちに神の義とは、どういうことかを身をもって示された、それは義を知らない私たちに義という神のみことばを示すことによって、やがてその義で、すべての人が裁かれることをも示されました。最後通告といっても良いかもしれません。


祈り

どうか、主イエスのもとに多くの者が集まって、やがて下される最後の審判から救われることに感謝します。どうかエジプトから救われたように、一人でも多くの者が救いを受けられますように、私たちも、みことばを伝え続けますように力をお与え下さい。 ハレルーヤ アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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