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2025年8月25日 詩篇第112篇

  • hccnichigo
  • 8月25日
  • 読了時間: 2分

『義は永遠に堅く立つ』


 主を恐れるという恐れは、畏れるという漢字のほうが合っている、先日、関先生のメッセージで、赦すと許すの違い、Forgive と Permit の言葉の違いが示されましたが、この場合にも、恐怖の恐れと、畏怖する畏れは違うのではないかと思いました。奴隷が主人を恐れるような恐れではなく、主を畏れ、神の戒めであるみことばを守る者は、悪い知らせ、例えば敗北をも勝利と変えてくださり、心は堅固で自分の敵を平然と見るまでになる。そしてその家には繁栄と本当の富があって、義がうせることがない、それが主を畏れることがさいわいにつながってゆくとこの詩篇は私たちに伝えようとしています。


 もともと、この詩篇はヘブル語のアルファベットに基づいて、日本のいわば数え歌のように覚えやすさが特徴です。 昔は紙が非常に高価なものでしたから、家庭で聖書を持つことはできませんでした。ですから、大人も子供達も暗記できるように、聖書の色々な箇所にこのような、アルファベットで記憶しやすいようにできているのです。言わば語呂合わせなのですが、そこに真実が表されているのです。


 この詩篇の始まりは、幸いなこと(アシュレー)ではじまっていますが、これは詩篇の1篇の始まりと同じで、詩篇全体に流れる、幸いなこと、人とはどのような人か、神の義を求める人だと描かれているのではないでしょうか。このアシュレーという言葉は、真っ直ぐに歩むという言葉から出てきて、幸いな人は、神の義、神の道をまっすく歩む人だということを意味しているのです。


 その神の義のなかには、9節「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立ち」とありますので、貧しい人々に惜しみなく分け与える。簡単に見えて実行することが難しいですね。しかし、自分の財産を自分が努力して稼いだ物として見てしまいますと、分け与えることが難しくなります、自分の努力で集めたお金ですから。しかし、それを初めっから自分の物ではない、預かったお金と思い返すことができましたら、気持ちの上では分け与えることが難しくなくなります、なにしろ初めから自分のお金ではないのですから。しかし言うのは易し、行うのは格段の覚悟が必要なことです。


祈り

主よ、どうか自分も幸いな者として、正しき道を歩むことができますように、情け深く、貧しい人々に惜しみなく分け与えることが難しいのです。どうか正しい道に一歩踏み出すことができますように、主の手を伸ばして、私を助けて下さい。 アーメン  

文:森 宗孝


 
 
 

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