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2025年8月24日 詩篇第111篇

  • hccnichigo
  • 8月24日
  • 読了時間: 2分

「知恵の初め それは主を恐れること。

 これを行う人はみな賢明さをえる。

 主の誉は永遠に立つ。」10節


 10節の御言葉に目が留まりました。そして、その御言葉は箴言1章の7節にも述べられています。


「主を恐れることは知識の初め。

 愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」箴言1:7


 「主を恐れる」とは、主を信じ、主に信頼し、主を敬い、主をかしこみ、畏れることだと言われています。おそれおおい方をあなどってはいけないということです。又、私たちの感謝は、常に「主を恐れる」ということを土台にした感謝であり、「主にすべての栄光を帰す」ところの感謝です。そのような行いをする人は賢明な者になることができるのです。私たちクリスチャンの訓戒のなかの一つとしていえることだと思います。


 私たちは、主の偉大な働きに感謝し、真実である主ご自身に感謝をささげ、主を恐れ、主に栄光を帰して、心から感謝をささげていくことであります。


 天の父なる神さま。あなたが私たちにしてくださった偉大なみわざに感謝し、主を恐れることによって賢明さをえることができますように導いてください。そして、いつでも、何をするにしても、あなたの栄光を帰す働き人として用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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