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2025年8月20日 詩篇第107篇

  • hccnichigo
  • 2025年8月20日
  • 読了時間: 2分

「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(1)


 この詩篇には、同じフレーズが繰り返されている。

「この苦しみのとき、彼らが主に向かって叫ぶと 主は彼らを苦悩から救い出された。」(6、13、19、28)


「主に感謝せよ。その恵みのゆえに。」(8、15、21、31)


 荒野の苦しみ、苦悩と苦役の苦しみ、背きと咎の苦しみ、嵐の苦しみ。それらは民の罪に対する神の裁きでもあります。しかし、その裁きの苦しみの中で「主に向かって叫ぶと」とありますが、この叫びが「悔い改め」です。そして主は、その裁きから救ってくださるのです。


 神は、民の罪を見逃すお方ではありません。罪を罪として裁くのが真の神です。同時に、神はご自身のかたちに造られた民を愛しています。その愛は永遠に変りません。だから神は、罪人を救おうとされるのです。


 神の正義があり、人は罪に定められ、罪に対する神の裁きがくだり、人が悔い改めて主に立ち返り、神は人を罪と裁きから救ってくださるのです。

 これは聖書全体に啓示された「悔い改めて、福音を信じる」という救いの構造でもあります。言うまでもなく、詩篇(旧約聖書)には、明記されませんが、この救いの中心にはイエス・キリストの十字架があります。


 この素晴らしい詩篇を分析するのも野暮な感じもします。ただただ、主の恵みの豊かさを想いながら、この美しい詩篇を味わいたいものです。

 

 天の父なる神さま

 私たちの人生には、苦しみがあります。でもその苦しみの中で主を呼び求めることができる幸いを感謝します。そしてあなたは、いつも私たちをその苦しみから救い出してくださいます。

 今私たちは「主の数々の恵みを見極めよ」(43)と語られています。主の恵みの豊かさを知り、さらに主に感謝を捧げる者たちでありますように。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

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