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2025年7月29日 詩篇第85篇

  • hccnichigo
  • 2025年7月29日
  • 読了時間: 2分

『私たちを生き返らせ』

 

 この85篇には、ドキッとする言葉がある、6節「あなたは 帰って来て 私たちを生かしてくださらないのですか。あなたの民が あなたにあって喜ぶために。」なんだか、主イエスのことを願っているように見えます。そしてあなたの恵みを、あなたの救いをお与え下さいというのです。そうして10節「恵みとまことは ともに会い 義と平和は口づけします。」なんとも意味深いことばですね。そして義は天から見下ろします。 義は主の足跡を道とします。と義について語っています。


 新約聖書にも義について、色々と書かれていますが、もともと義という言葉は、距離を表す言葉だそうです。そして神と最短距離、しかも真っ直ぐなことが義という言葉の意味だそうです。 自分はそれで、十字架のタテ軸を連想しました。天と地が繋がる最短距離ではないでしょうか。ヨハネの福音書16章10節「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。」ここでは、義とは、全く罪の無い、主イエスが私たちの罪を負って父なる神の御前に行くこと、そうしてそこで赦しを得て神との関係が、回復されて真っ直ぐになることと理解したのです。


 そうして、平和とは、この世の全ての人に伸ばされた主の手である、十字架のヨコ棒ではないかとも思ったのです。それは主イエスの恵みです、十字架にかかられたのは、まことである主イエス、ですから恵みとまことは十字架の上で会った、そして主の義(タテ軸)と平和の御腕(ヨコ棒)は十字架で口づけしているというイメージが、この詩篇85篇にはあるのだと思います。2節「あなたは 御民の咎を担い すべての罪を おおってくださいます。」まさに十字架のイエスですね


祈り

主イエスは詩篇を愛されました、実にここには主イエスが描かれているのですね。そのような詩篇の学びに心から感謝いたします。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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