top of page

2025年6月9日 詩篇第35篇

  • hccnichigo
  • 6月9日
  • 読了時間: 2分

『私を助けに来てください』


 この詩篇35篇はダビデが、サウル王に追われ、無実で潔白であるのにもかかわらず、はかりごとによって、ゆえなく逃亡の身となった時のことを描いているようです。私たちも人生の中で、自分のせいではないのに、周りの人から辱めを受けたり、嫌われたりした経験はないでしょうか。 ここではもっと厳しく命の危険も、この追い迫る者たちから受けながら、どうか主の使いがきて、このような、わざわいを謀る者たちを追い散らして下さいと願っています。


 そのような苦しみの中にあっても、主が自分のように苦しむ者を、より強い者から救い出される方だと信頼をしているのです。今まで、自分の友人だと思っていた者、良くしてあげた者が、悪意をもって自分に対する証人として、偽証をするのです。 特に今まで成功しているからこそ、そのために、嫉妬されていることさえ気づきません。彼らの中に悪意の思いが芽生えることさえ分からなかったのです。


15節「それなのに 私がつまずくと彼らは喜んであつまり私の知らない攻撃者が、私に向かって集まり休みなく私を中傷しました。」事実、サウル王がダビデを殺そうとした時に、それまでダビデに忠誠を誓っていた者が、手のひらを返すようにして、ダビデを攻撃して来ました。


 私たちもつまずいた時に、手を伸ばしてくれる者が、本物の友人であることを知っています。主よいつまで眺めているのですか。黙っていないでください。この偽り者たちを滅ぼして下さい。あなたの義に従って、裁いて下さい。と私たちも願ったことがないでしょうか。詩篇は私たち人間が、神に向かって、叫び、助けを求めながらも、主の臨在に感謝する詩でもあります。 助けは主から来ることを心から確信して、ののしる者、略奪する者が、彼らの望み通りになりませんように、主の義を知らしめて下さい。


祈り

私たちの義なる祈りは聞かれている。今の苦難は私たちの忍耐が試され、信仰が育つための訓練かもしれないと理解できますように、私たちの魂は見捨てられずに、やがて主と共に喜び、楽しむことを信じます。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年11月13日 伝道者の書3章

「すべてのことには定まった時期があり、  天の下のすべての営みに時がある。」1節 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」11節(抜粋)  伝道者の書3章には皆さんもよくご存知の名句がでてきます。 「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。」1節 その時はすべて神ご自身の御心次第である。私が、この章で一番心に示されたのは、2節の御言葉である。 「生まれるのに時が

 
 
 
2025年11月12日 伝道者の書2章

「わたしは、心の中で行った。『さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんと空しいことか。」(1)  4節から8節に記されているように、ソロモンは栄華の限りを尽くしました。おおよそ人間が求めるすべての欲求を満たしました。物欲、性欲、食欲、名誉欲、知識欲、さらに知恵…。「そして私は偉大な者になった。」(9)と告白しました。  しかし彼は告白します。 「見よ、すべてが

 
 
 
2025年11月11日 伝道者の書1章

『空の空』  日本史にでてくる、豊臣秀吉は、庶民が憧れる太閤様でした、貧しい身から出世して、天下を取るまでのぼりつめて、人の目には、栄華をきよめた一生と映るのです。しかし彼の辞世の句は「露とおち露と消えにし我が身かな浪速(なにわ=大阪)のことも 夢のまた夢」 露のように消えてしまう身よ、あの華やかな浪速の出来事さえも、いまでは、すべて夢のまた夢、という世を去る太閤様の最期の句でした。確かに私たちの

 
 
 

コメント


bottom of page