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2025年6月3日 詩篇第29篇

  • hccnichigo
  • 6月3日
  • 読了時間: 2分

『主の声』


 主の声について、面白い聖書の表示がある、それは創世記にあるのです。

創世記3章8節「そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した」ここにある歩き回られる音と訳されていますが、音ではなく声が直訳のようです。続く9節も、あなたの足音を聞いたとありますが、声を聞いたが直訳のようです。主の声は主のことばです、ヨハネの福音書1章1節b に「ことばは神のともにあった。ことばは神であった。」そのように考えると、御子イエスが園の中で、父なる神の声としておられたという場面になると思います。


 それで、この詩篇29篇には、何回も主の声と主別々に描写されていますが、これを自分は父なる神(主)と主の声(イエス)として読み直してみました。そして、1節にある「力ある者の子らよ、は神の子らよとも訳せるので、神の子らよ(私たち)よ、主(父なる神)に帰せよ。(立ち戻りなさい)と声をかけているのではないでしょうか。主に戻ってひれ伏しなさい、崇めなさい。ひれ伏さない者には、主の声(イエス)は力強く、レバノンの木を打ち砕き、炎のように、父なる神に叛逆する者を打ち倒すのですよ。と呼びかけている。どうか主に戻る神の子でありますように、逆らい続けて、打ち倒されませんように。戻って来るなら、父なる神は、とこしえに王座に居られて、信じて、自分を崇める民に平安をもって祝福される、祝福の神だからです。


 神の子とされたのに、主に立ち帰らない理由は、私たち、すべての者はOriginal Sin(原罪)を背負っているからでしょう。アダムとイブが善悪の実を食べてしまったのは、単に父なる神の禁止事項を破っただけで無く、父なる神に叛逆を起こしたのです。自分達が神のようになろうとしたことで、罪による死が私たちに下されてしまい。この叛逆の罪、原罪から派生するSins(複数形の罪)人を傷つける罪、殺人であれ、誹謗であれ、道徳から離れてしまう罪を犯すようになってしまったのです。ですから主に立ち返れと叫んでいるように思うのです。


祈り

私たち、神の子を力強い子にしてくださった主よ。すべてのものを主の声で創造された主よ。あなたのみわざを覚えて、すべての者が主に立ち帰り、共に賛美しますように導き下さい。アーメン 

文:森 宗孝


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