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2025年6月28日 詩篇第54篇

  • hccnichigo
  • 6月28日
  • 読了時間: 3分

 以前、牧師先生が、「イエス様が共におられます。あなたのどの位置にイエス様はおられると思いますか」という質問があった。イエス様は私にとっては、宇宙服のように全身すっぽり包んでいて下さる感じがする。そして特に最近は、常にハグして下さっているような感覚である。でも時々、自分から宇宙服を脱いでしまったり、人に又は状況に剥ぎ取られたような感覚に陥る時もある。


「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制は、御霊の実9つである。」(ガラテヤ5:22-23)


 人間は感情の生き物だとはよくいうが、喜び、悲しみ、怒り、恐れ、嫌悪、驚きなどの基本感情がある。しかもこれらが入り混じった複合感情というやっかいなものまである。ある精神科医によると、人は恐怖とエキサイトメントの区別が曖昧な時がある。なのでホラー映画を好む人がいると説明してくれた。


 さて、54篇の時代背景であるが、52篇から続き、祭司エブヤタルが、エドム人ドエグの大虐殺からダビデのもとに逃れてきた時のことである。なぜダビデは逃れなければいけなかったのか、それはサウルの嫉妬が原因である。


 サウル王は自分の軍隊の隊長にダビデを選んだほどダビデを信用していたのに、彼の功績に嫉妬し、敵意を持ちペリシテ軍との戦いに殺すべくして送った。死んでしまえばよい、という強い敵意に変わった。ダビデが戦いを終え無事街に戻ってくると、女たちは『サウルは何千人も殺したが,ダビデは何万人も殺した』と歌ったという。

 この頃、一番立場の弱い異性である女たちがそう言って歌った。さぞや屈辱であったろう。サウルは「ダビデさえいなければ、俺が一番」と、嫉妬し敵意を燃やしたことだろう。


 ここで目に留まったのが、3節:

「見知らぬ者たちが 私に立ち向かい横暴な者たちが 私のいのちを求めています。彼らは神を前にしていないのです。セラ」

 見知らぬ者とはダビデがジフの荒野に逃げこんだ時、そこに在住のジフ人たちがダビデを裏切り、ダビデの居場所をサウル王に知らせた。横暴な者とはサウル王の軍隊でダビデの命をとろうとしている。彼らは神を意識していない、という解説である。

 相対して、どんな逆境にあっても、いつも神様を信頼し意識して、祈り求めているダビデに感動する。

 そして7節:

「神がすべての苦難から私を救い出し私の目が敵を平然と眺めるようになったからです。」

 すべての苦難から自分を救い出してくださる神にゆだねることによって、かえって安心して、「私の目が私の敵をながめる」余裕が生まれる。神のさばきに訴えることがすべての始まりだとの解説を読む。


祈り:

愛する天の父なる神様、私たちはしばしば自分の正義を訴えることで争いを加速させてしまうことがあります。主の公正なさばきに信頼して、誠実を尽くす歩みへと導いてください。主であるイエス様はブドウの木。感情や行動ではなく、聖霊の内的な働きによって御霊の実がなるブドウの枝とさせてください。

文:マッカーター政子


参照

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