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2025年6月25日 詩篇第51篇

  • hccnichigo
  • 6月25日
  • 読了時間: 2分

「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜びません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ、あなたは、それをさげすまれません。(16,17)


 この51篇は、ダビデの詩篇の中でも特別な詩篇です。彼はバテシェバと姦通し、その夫であるウリヤを謀殺しました。このとんでもない罪が預言者ナタンを通して示されたときの詩篇です。

 罪を自覚したダビデの必死の悔い改めが記されています。「私をあなたの御前から投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。」(11)と、彼は、もう自分はだめだと思う中で、それでも神に悔い改めるのです。

 悔い改めるということは諦めていないということです。なんとか神の赦しとあわれみをいただきたいという切なる願いが込められています。「神よ。私の救いの神よ」(14)と、自分を救ってくれる神を信じて叫んでいるのです。

 そしては、悔い改めを通して、一つの大きな発見をしたのです。それは神が喜ばれるのは、「砕かれたたましい」だということです。幾千幾万のいけにえよりも、砕かれたたましいといういけにえが勝るというのです。


 神が喜ばれるのは、私たちの正しさではありません。神の御前に罪人にしか過ぎない私たちです。イエス・キリストによる救いがなければ、どうにも生きては行けないという自覚を持っている者が砕かれたたましいなのです。

 私たちは、どこまで行っても、この自覚を持ちつづける者でありたいと願います。イエス・キリストの十字架がなければ、一息もできないという者であり続けたいと願います。


 天の父なる神さま

 私が自分の正しさを誇ることがありませんように。あなたの御前で砕かれたたましいでありますように。それが真実なのですから。どうか、高慢の罪から私たちを遠ざけ、主を求め続ける者としてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


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