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2025年6月10日 詩篇第36篇

  • hccnichigo
  • 6月10日
  • 読了時間: 2分

『注いて下さい、あなたの光を』


 ここでは、暗闇である悪の道と、光である主が対象されています。しかし、光といっても太陽光線の光では無く、神の栄光の光でしょう。創世記1章4節に「神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。」第1日、ここにもある光も神の栄光の光です。 なぜなら、第4日目に、初めて太陽と月と星が造られたからです。この神の栄光の光を注いで下さいとダビデは願っているのです。


 この詩篇36篇9節「いのちの泉はあなたとともにあり あなたの光のうちに 私たちは光を見るからです。」悪き者には、神に対する恐れがないのです。闇を好んで自分の判断で、良くない道に堅く立ってしまっている。

しかし、主の家は豊かさに満ち溢れ、楽しみの流れで人の子を麗しくして下さいます。最初に表されている悪人と、主の光にいる者の違いを見ることができます。この世界のすべての歴史は、神の審判であるとヘーゲルは語っています。


 そして、ヨハネの福音書1章4節でことばとしての主イエスを語って、「この方にはいのちがあった。このいのちはひとの光であった。」とイエスは神の栄光の光であるとヨハネが語っていますが、ダビデは知らず知らずのうちに、この光としてのイエスを心に浮かべているのではないかと思うのです。イエスも聖書はわたしのことを語っているのだとも仰っておられましたね。


 旧約時代のダビデは、この主の恵みを注いでくださいと願っています、私たちは、十字架のイエスを知っていますので、主の恵みはすでに私たちの上に注がれていることを、喜びをもって応えることができるのです。しかし主の恵みは、同時に神の義とともに注がれているのですから、神の義をなおざりにしてしまうと、恵みのほうも届かない、まさに恵みと義はワンセットで下さっていることを覚えておきましょう。 主の栄光の光が注がれると、永遠のいのちが泉となって湧き出て、豊かさと楽しみで麗してくださいます。どうか私たちも高慢になりませんように、悪き者の手につかまることがありませんように、主の義をもって生きることができますように


祈り

主イエスが光となって、私たちの心と霊と身体を照らして下さっていることに感謝致します。光の中を歩んで、主の義を忘れることがありませんように、主の御翼の陰にわが身をおくことができますことに感謝致します。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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