top of page

2025年5月7日 詩篇第2篇

  • hccnichigo
  • 5月7日
  • 読了時間: 2分

「なぜ、国々は騒ぎ立ち もろもろの国民は空しいことを企むのか。なぜ 地の王たちは立ち構え 君主たちは相ともに集まるのか。主と主に油注がれた者に対して。」(1,2)


 この1節と2節は、メシヤ預言です。主に油注がれた者とは、来たるべきメシヤのことを指し示しています。

 特にこの箇所は、使徒の働き4章25節~に引用されています。約束の聖霊が降り、人々が大騒ぎしている中で、ペテロが立ち上がってメッセージを語りました。その中で、この箇所は、イエスの事を特に十字架のことを預言しているのだということを明らかにしています。

 

 もしイエスが目に見えるお方としてここに来られたら、みんなイエスを信じるだろうと言う方がいます。そうしたら信じる信じないということではなく、なんといっても目の前にイエスがおられるのですから。

 しかし実際にイエスを目の前にした者たちは、なんとイエスを拒否して、迫害し、十字架にかけて殺しました。


 きっと今の時代にもイエスが来られたら、イエスに従う者と、イエスに逆らう者とに分かれるのだと思います。私は、あのイエスの時代にいたら、イエスに従っただろうか、それともイエスに逆らう者だったであろうか、どっちだったろうか、考えさせられます。

 

 イエスをメシヤとして受け入れた者は、自分の弱さを知り、自分の罪を知り、自分には救い主が必要だと自覚している者たちでした。

 私は、今日も、救い主イエスを求めている者だろうか、正しい人ではなく罪人を招いて救うために来たというイエスの招きに応える自分だろうか。

 しばし考えさせられます。

 

 天の父なる神さま

 私は、イエスに従う者か、それとも逆らう者か、どちらでしょうか。いつも主の御前にへりくだり、イエスに喜んで従う者でありますように、私たちの心と歩みを守ってください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


最新記事

すべて表示
2025年6月19日 詩篇第45篇

詩篇45篇の冒頭で、 「指揮者のために、「ゆりの花」の調べにのせて。コラ人による。マスキール。愛の歌。」と記されている。ここでいう「ゆりの花」は、私たちが思っているあの白い、強いにおいを放つ花とはちがいます。へブル語の「シューシャーン」という赤い花で春から夏にかけて咲くアネ...

 
 
 
2025年6月18日 詩篇第44篇

「それなのに、あなたは私たちを退け、卑しめられました。あなたはもはや、私たちの軍勢と共に出陣なさいません。あなたは私たちを敵から退かせ、私たちを憎む者どもは思うままに略奪しました。」(9、10)  1節~8節で、先祖を救い勝利を与えてくださった神への信頼を告白し、今もただ主...

 
 
 
2025年6月17日 詩篇第43篇

『わがたましい』  42篇とつながっているこの43篇にも5節「わがたましい」が繰り返されている。 そして聖書は、私たち人間は霊とたましいとからだの三要素があると記されています。  テサロニケ5章23節「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。...

 
 
 

Comments


bottom of page