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2025年5月5日 コロサイ人への手紙4章

  • hccnichigo
  • 5月5日
  • 読了時間: 2分

『祈り』


 この章では、祈りについて考えさせられました。2節に「たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。」口語訳では「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」何を祈るのか、聖書のみことばが自分の心を開いて、キリストの福音を語ることができるように、祈りなさいとあります。


 ここを読んで、いかに自分の祈りがいかに拙いいのりであるか、身を竦まされる思いです。なぜなら自分の祈りは、家族のこと、健康のこと、教会のメンバーや友人のための祈りで終わってしまい、主イエスのお語りになった、神の奥義を語れるようにという祈りにはほど遠い祈りだからです。


 このパウロの獄中書簡と比べて、最近学んだもう一つの獄中書簡があります。ドイツ神学者ボンハッファー、彼はヒットラーの暗殺未遂、反逆罪で処刑された2千人のうちの一人の牧師で、彼も獄中書簡を書いているのですが、彼の祈りに対する言葉は、「私たちは神に、私たちの苦しみを叫び訴える権利を持っている。しかし、最も深いところでは、ただ神に委ねる祈りと導かれる」


 彼にとって祈りは、私の祈りのように生ぬるいものではなく、命を賭けた行為であると考えていた。しかし同時に大いに悩んでいた。自分達夫婦はドイツのボンハッファーの80周年記念ツアーに参加して学んできたことは、この牧師は最後まで自分のすべき道を迷いに迷っていた、つまりヒットラーといえども人を殺めようとすることは、神の裁きに合う、しかし、もしもユダヤ人虐殺を黙って、傍観者としていたら、これも神の裁きに会う。どうしたら良いのか祈って、祈って、祈り通したことを学んだ。


 祈りは、神に委ねる祈りと導かれる、パウロもボンハッファーに、対してきっと、そうだ、そうだと言ったにちがいない。


祈り

十字架の上で、苦しみの中でも私たちのために祈ってくださった主イエスを、思い起こして、たゆみなく、感謝を持って毎日祈り、神のみこころを伝える道具となれますように! アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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