2025年5月12日 詩篇第7篇
- hccnichigo
- 5月12日
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『神の義を求める』
この7編は、ダビデが誤解されて、危険にさらされている時に、神の義を求めた詩のようです。 冒頭にダビデがクシュというベニヤミン人について主に歌ったシガヨンとありますが、クシュが誰のことなのか、聖書に説明がありません。 サウル王はベニヤミン族でクシュ出身でしたから、彼自身もしくは、サウル王の下にいる人でダビデを迫害した者だろうと想像しますが、正確には解らないのです。 そしてシガヨンとは音楽用語のようです。おそらく(セラ)と同じような言葉であろうと思います。
ダビデはサウル王に誤解されて、迫害を受ける身となることを私たちは学びました。私たち自身、誤解された経験はなかったでしょうか? 自分は仕事上の方針で上司と対立してしまい、最後には1ヶ月の停職処分を受けたことがあります。その頃の自分は頭でっかちで、若かったのですね、傲慢であったのかもしれませんが、誤解されたと憤慨して怒りの中におりました。そんな時に、その時分、すでに他界していますが、うちの隣に住んでいたもと米海軍の義理の父から、朝起きて、自分の顔を鏡に写している時に、やましい気持ちが無ければ、人が何と言っても気にするなと言ってくれたことを思い起こします。誤解を受けるほど悔しいことはありませんが、ダビデはその結果、追い立てられる逃亡の身となったわけです。
ダビデは主に嘆願します。8節後半「主よ、わたしの義とわたしにある誠実とに従って、わたしをさばいてください」それまでは順風満々の出世と栄光を受けていたダビデは、ここで苦しみに出会い、今まで彼を慕っていた者たちも背を向ける状況だったのですが、この経験によって、苦しみと迫害のなかでもダビデに従ってくる、本物の仲間と偽物の友人が分けられて、結果としては、本物の仲間に守られて、良き王となる経験をしたのでした。 まだダビデは迫害の中におりましたが、11節で主への感謝の言葉となって、主の名をほめ歌うと感謝しています。試練を通じて、感謝できる者は幸いです。
キリストを信じる者となる信者には、けっしてこの世においてバラ色の人生は約束されていません。なぜなら、この世は自己中心の世界だからです。自分中心の世界において、神を第一とする生き方をするならば、当然ながら摩擦が起きて、大勢から迫害される身になることは、聖書の使徒たちの人生を見ても明らかです。マタイ10:28「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい」どうかそのような勇気を持つことができる者へと導いて下さい。
祈り
どのような試練に出会っても、主への信頼が揺るぎませんように、怒りにかられて主の義と恵みを忘れることがありませんように、主イエスを仰ぎ、常に感謝する心を持ちますように アーメン
文:森 宗孝
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