2025年4月15日 ヨブ記42章
- hccnichigo
- 4月15日
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『満ち足りた生涯』
この最後の章である42章をめぐって、色々な意見があるようです。終わり良れば全て良しとする42章、ヨブの半生にもまして、ヨブの財産を結果として二倍にされたとあるのですが、これは実は後年にヨブ記に足された章ではないかというのです。
確かに、これまでの長い長い友人たちとの論争から、あっと言う間に一転してすべて良しとなったこの結論には、疑いの目を向けたくなるわけですが、自分は聖書のことばは文字通り、受け止める主義ですから、この章もそれなりの意義があることではないかと理解するのです。
6節でヨブの悔い改めが出ています「それで、私は自分を蔑み、悔いています。ちりと灰の中で。」これまで苦悩のあまり、主の返答がないことに怒り、自分の義を友人たちにも論議していたヨブが、全能なる主のことば、すべての被造物を造った様子を聞いて、畏れ言り、知恵を知ったのです。そして今までの自分の態度に悔い改めをしています。主なる神は高慢を嫌い、悔い改めて頭を下げる者を喜びます。主はヨブの悔い改めを喜ばれました。そこで終わっただけでなく、ヨブの友人たち三人、えりファズとビルダデとツォファルにも、因果応報といってヨブの慰めよりも、隠された罪を暴こうとした愚行に対して、ヨブに謝り、全焼のささげものをもって、自分達の罪を赦してもらうように命じられたのです。ここで注意したいのは主が仰られたことばは、エリファズと二人の友に向かって怒っておられるのですが、年少者であるエリフ、最後に語ったエリフには怒りが向けられていないことが不思議です。エリフの語ったことに真実があったからかもしれません。
10節「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにされた。さらに主はヨブの財産すべて、二倍にされた。」
テモテへの手紙 第一5章17節「よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。」
聖書には確かに二倍返しのみことばが創世記にも、申命記にも出てきます。祝福が二倍となって帰ってくることに感謝ですね。
祈り
長く続く論争のヨブ記のデボーションが終わりました。私たちが苦悩の中でも、主が私たちを愛し、神の時をもって判断してくださる。神のなさることは、すべてにかなって美しいことに心から感謝致します。アーメン
文:森 宗孝
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