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2025年4月14日 ヨブ記41章

  • hccnichigo
  • 4月14日
  • 読了時間: 2分

『レビヤタンを釣る』


 いよいよヨブ記の大詰めにきております。主なる神が嵐の中からヨブに答えておられるみことばが38章から続いています。しかし、なにゆえヨブの身に災難が起こったかという点に関していえば、解決なき解決を主は与えているのです。そして、この41章に至るまで、創造主である主が、全ての被造物を、宇宙の星さえも自由にしている主のみわざを挙げながら、そのような主にヨブが、自分の災いを問いかけていること自身が主を畏れていないことであること、取るに足らない者としての自覚を促しているのでしょうか。


 さて、この41章の初めに、面白い言い回しがあるのですが、少し考えてみましょう。1節「あなたは釣り針で レビヤタンを釣り上げることができるか。輪縄でその舌を押さえつけることができるか。」4節「これが(レビヤタン)あなたと契約を結び、あなたがこれを捕らえて、永久に奴隷とすることになるだろうか。」このレビヤタンとは、「逃げ惑う蛇レビヤタンを、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。」イザヤ書27章1節で説明している蛇、サタンのことだと理解します。


 主なる神は、蛇であるサタンを釣り上げて、やがて主の日には、火と硫黄の池に投げ込まれる運命ですが、ヨハネの黙示録には20章2節「彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕えて、これを千年の間締り。」と記されている。これがレビヤタンの正体ですが、それを釣り上げることができる創造主なんですよ、とヨブに諭しておられる。そして、まるで歌舞伎役者が、立ち回りで手をかざして、だれが、この創造主の前に立つことができるだろうかと問われています。


 ヨブは今まで、主に「何故こんな悲惨なことが私に起こるのですか。理由を教えて下さい、答えてください」と懇願しておりましたが、主がご自分の創造主としての力を、示す前に、ただただ畏れいることしか出来ない、今までの疑問はふっとんでいって、神の御声を経験するだけで、自分の境遇の事など問題にならない、解決を頂いて心の平安を取り戻すことができたのではないでしょうか。神自身が直接、私たちに語りかけて下さる、主イエスが私たちに聖書を通じて語りかけて下さる時に、すべてが解決し、心の平安が与えられるのです。


祈り

ヨブ記の最大の目的は、ヨブに神を示すことでありました。そして私たち人の最高の幸福は、神を見ることであります。そして、神のこと、そのものには私たち人が解らないわけですが、しかし父なる神が’私たちを愛してくださっている事を理解させてくださったヨブ記に感謝します。アーメン 

文:森 宗孝


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