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2025年3月7日 ヨブ記3章

  • hccnichigo
  • 3月7日
  • 読了時間: 2分

 ヨブは、神を呪うかわりに、自分の生まれた日を呪うようになります。神をのろって死になさいと勧めた妻に対しては、毅然として、信仰的な姿を崩さなかったヨブも、言葉もなく、ヨブの苦しみをそのまま受け止める友人たちの前に、ついに、悲痛にみまわれ、自分の心情をを吐露せざるをえなかったのでしょうか?


 私たちの心には、なぜという疑問が駆け巡り、答えられないと、ますます混迷に陥ってしまいます。ヨブのように、私たちは、なぜという疑問や呪いを自分の糧として生きる罠に気付くことが出来るでしょうか? 24節で、「まことに、食物の代わりに嘆きが私に来て、私のうめきは水のようにあふれ出る。」と嘆いています。


 イエス様は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」言われました。(マタイ4:4)悲痛に陥った時こそ、神のことばを、私たちの心の中に思いめぐらせ、嘆きを咀嚼するのではなく、神のことばを繰り返し食べていけます。人は神のことばによって希望を持ち、神のことばによって生きる力をあたえられます。それでも、私たちは傷ついた時には、どうしても、神のことばを忘れやすく、神のことばに背を向けてしまいがちです。苦難の日にこそ、私たちは主をまず求め、闇にあるときにこそ、神の恵みの日々を思い起こし、神をたたえた日々を思い起こし、嘆きでもなく、うめきでもない、涙でもない、神のことばをこそ、私たちの心の中に思いめぐらせていきましょう。


 信仰を持つということは、実に神の約束に生きることに他ならず、望み得ない時に、神に望みを抱いて生きることではないでしょうか。


主の祈り:神を呪うかわりに、自分の生まれた日を呪う程に、うちひしがれたヨブの悲痛はいかばかりでしょうか?すべてを全能の神に委ねることが出来るように神様助けてください。あわれんでください。神様の御言葉に常に立ち返ることができる選択肢を選べる自由が与えられていることを感謝します。 アーメン


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