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2025年3月4日 コリント人への手紙第二13章

hccnichigo

『愛の鞭』


 パウロはこの最後の章で、5〜6節「あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさい。それとも、あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。あなたがたが不適格な者なら別ですが。しかし、(別訳:私たちが本当の信仰者であると)私たちは不適格でないことが、あなたがたに分かるように、私は望んでいます。


 この問いかけは、厳しい愛のムチの言葉ですね。あなたは本当に信じているのか。自分のうちにイエスがおられることを自覚していないのですか。と私たちにも語られているように感じます。本物の信仰を持っているのですかと聞かれたら、どう答えますか。このコリント教会への最後の章で、パウロはこれまで語ったことを踏まえて、あなたがたは、キリストと共に生きているのですよ、ですから自分が弱くとも、キリストによって強く、完全な者になるように祈っているというのです。この完全な者とは、今までは、魂に穴が空いていたようにして生きていた。自分自身に頼って、自分の才覚で生きて来たけれども、創造主である神のことを忘れていた、神との繋がりが無かった、心に穴が空いていたけれども、それが主イエスによって塞がれて、完全な者となるのですという意味に自分は捉えました。 完璧な人間になったということではなく、まだまだ人間として成長が足りないけれど、心の穴は塞がって、神と和解した状態になったとパウロは言っているのではないでしょうか。そうして、祝福の言葉をもって手紙を終えているのです。


 11節「最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。」


 私たちの心の穴が埋まりますと、喜びに包まれ、主の慰めを心で受け止めて、自分の周りにどんなことが起こっても、結果に惑わされずに、心の中は平安でいることができるのですね。 それは主イエスの聖霊が共にいてくださるので、平和であり安全なのです。


 これほど真理をあなたがたに語っていても、まだ解らないのですか。2節抜粋「こうして離れている今も、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦しません。」コリント教会を愛しているからこそ、おしりを叩いているパウロの様子が見えるようです。そしてこれは私たちへの言葉でもあるのです。


祈り

 どうか私たちも、イエス・キリストが私たちと共におられることを自覚して、主にあって一つになることを信じ、全き者と導かれますように、主イエスの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、すべてともにありますように。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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