top of page

2025年3月12日 ヨブ記8章

  • hccnichigo
  • 3月12日
  • 読了時間: 2分

「神が裁きを曲げられるだろうか。全能者が義を曲げられるだろうか。」(3)


 ビルダデの言葉は、その一つ一つを見れば正しいことを語っている。しかし前提は、ヨブは何か罪を犯しているに違いない、だから義なる神の裁きが下っているということである。

 3節のみことばは、正しいその通りである。ここでビルダデは、神の義を主張している。しかし、神の義は人間が証明するものではない。神はそれを人間に求めてはいないのだ。もとより、人間が神の義を証明することは不可能なのだ。


 この前提に立つ限り、苦難の意味を見い出すことはできない。悪いことをすれば悪いことが起こる。この因果応報は、確かに一理ある。聖書も撒いた種は刈り取るという種蒔きの法則を語る。

 しかし、そこには神はおられない。ここに神の摂理が登場するとき、この因果応報は打ち破られる。

 このヨブ記において、神は苦難の原因は答えていない。ただ神が神であることを示している。圧倒的なまでに神の絶対性を示している。そして、それがヨブへの答えとなり、ヨブはそれで十分に納得したのだ。


 私たちが苦難の意味を問うとき、その苦難の中で神に出会うなら、それが答えとなる。そして私たちは、それでなぜか納得してしまうのだ。そして神を賛美するようになるのだ。

 神の愛、神の義、神の聖、神の全知全能…、神ご自身の中に、すべての答えがあるからだ。


「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。 あなたはわたしをあがめよう」詩篇50:15


 私たちは、苦難の日に神を求める者だろうか。それとも苦難の日に神から離れる者だろうか。苦難の日にこそ、神を求め、神に近づく自分でありたい。その時、神ご自身が私たちを助けてくださるのだ。そして神を賛美する自分になるのだ。


 天の父なる神さま

 苦難の日にこそ、主を求める私たちでありますように。あなたの助けを得ることができますように。そして苦難のただ中であなたを賛美する者となりますように。聖霊が私たちを助け導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月5日 テモテへの手紙第一5章

「やもめの中の本当のやもめを大事にしなさい。もし、やもめに子どもか孫がいるなら、まずその人たちに、自分の家の人に敬愛を示して、親の恩に報いることを学ばせなさい。それが神の御前に喜ばれることです。身寄りのない本当のやもめは、望みを神に置いて、夜昼、耐えず神に願いと祈りをささげていますが、自堕落な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのです。彼女たちが非難されることのないように、これらのことも

 
 
 
2025年12月4日 テモテへの手紙第一4章

「神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。」4節 「神のことばと祈りによって、聖なるものとされるからです。」5節  これらの御言葉を読んで示されたことは、神が造られたものを捨てることが多いのに気づかされます。要するに必要以上にものを買ってしまうことが捨てる原因になるのです。実に神の造られたものを無駄にしてしまっていることに悔い改めの気持ちが起こされま

 
 
 
2025年12月3日 テモテへの手紙第一3章

テモテへの手紙は、「牧会書簡」と呼ばれ、教会の歩みにおける具体的な勧めが記されています。  3章おいては、監督職に就く者の資質について、続いて執事に就く者の資質について記されています。この監督職とは、長老職、牧師職と重なる部分もありもあり区別が明確ではありませんが、教会におけるリーダーとしての立場であることは間違いありません。執事とは、おそらく教会の実務を担当する者たちであったと思われます。  い

 
 
 

コメント


bottom of page