「あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属するものだと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもキリストに属しているということを、もう一度よく考えなさい。」7節
パウロは「あなたがたはうわべだけを見ています」と語っています。人はしばしば見た目や表面的なこと、世間的な評価に囚われがちです。神さまは人の誠実さや愛の深さ、そして静かに目立たずに愛を実践している方々を見ておられるのに、私の目にうつるのは社会的地位や財産などを持つ人が成功者と見てしまうことがたびたびあります。だから無意識に人と自分を比べてしまうことがあると思います。反省します。
また、ガラテヤの学びのクラスに参加する中で、母と同じ年代や少し年上の方々の信仰の姿勢を見て、「母はどうしてできないのだろうか?」と心の中で比べてしまっている自分がいました。そのままの母を受け入れているつもりでいても、実は私自身が肉の考えで判断していたのです。
母は認知症を患っており、その介護をしている中で、思うように信仰を持てない母の姿と、学びの場で熱心に聖書を学ぶ方々の姿を比べてしまっていました。しかし、神さまは母の状況や心の内をすべてご存じであり、私のものさしで計るべきではないと気づかされました。この気づきを通して、神さまの基準に立ち、人を評価するのではなく、神さまの目で愛することの大切さを学びました。
「私たちは限度を超えて誇りません。神が私たちに割り当ててくださった限度の内で、あなたがたのところにまで行ったことについて、私たちは誇るのです。」13節
12節以降、人と自分を比べて誇ることの愚かさについて語られています。神さまは、それぞれに与えられた領域の中で生きることを望んでおられます。私が母の介護をしていることも、私自身の努力や犠牲によるものではなく、神さまが許され、導かれていることです。
それを「私がしている」と思うと、おこがましさが生まれ、比較や不満に囚われてしまいます。しかし、本当の意味で私が母を支えているのではなく、神さまが母を愛し、私を通して働かれているのだと気づきました。
Ⅰサムエル記16:7でも「人はうわべを見るが、主は心を見る」と語られています。私たちがどのように見られるかではなく、どのような信仰を持っているかが大切なのです。神さまが与えられた領域の中で、謙遜に、感謝をもって生きる者でありたいと願います。
愛する天のお父さま
私たちが人の評価や外見ではなく、あなたの目にかなう心を持つことができますように。周囲と比較するのではなく、あなたがご覧になる心の在り方を大切にする者としてください。私たちの目を開き、あなたの真理を見つめる者としてください。そして、与えられた領域の中で、へりくだりつつあなたの愛を実践できますように。
イエス キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン
Comments