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2025年2月3日 エステル記10章

  • hccnichigo
  • 2月3日
  • 読了時間: 3分

『全民族に平和を語る』


 エステル記の最後の短い章ですが、やがてユダヤ人はクリスチャンのクリスマスの時期に、プリムの祭りを祝うようになってゆくのです。そしてこのプリムとは、プル「くじ」という言葉にちなんでいるわけですが、くじを引いた結果という事柄の背後に、神の摂理が働いているという考え方が聖書の立場です。


 実はサンフランシスコの次女宅に行く時には、必ずといって良いほど、宝くじ、ロッテリーMEGAを2ドルで購入しています。そして当たりくじが数百億になっているのを見ながら、このお金で何をしようと想像するのです。そして、主のために使いますが、少しは自分のために使っても良いですよね。などと独り言を言いながら当選を確認するのですが、今まで当たったことはありません。


 さてくじについて聖書はなんと言っているかというと:

 ヨナ記1章7節「人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。」

 ルカの福音書 バプテスマのヨハネの父親、祭司ザカリヤが神殿で主の使いに会うのですが、そのきっかけは1章9節「祭司職の慣習によってくじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。

 使徒の働き イスカリオーテのユダの代わりに、12番目の使徒としてマッティアを選ぶのですが、1章26節「そして、二人のためにくじを引くと、くじはマッティアに当たったので、彼が十一人の使徒たちの仲間に加えられた。」他にもくじを引くことで、神の摂理に従おうとする記述は、たくさんあります。


 実は、エステル記には、神ということばは一言もでてこないのですが、「くじ」は6回も記されていて、ここに実は、神が摂理的な配慮をもって物事を逆転させるという考えが根底にあることを見逃してはいけません。


 私たちは、実に裸で産まれてきて、裸で天に戻りますので、この世での持ち物は役に立ちません、そして持ってゆくことができるのは、賛美であり、信仰だけですから、この世の旅をするにあたって、確かに多少の蓄えと衣服が必要ではありますが、蓄えを増やすことが、この人生の旅の目的ではないことを、私たちは理解する必要があるのですね。でも、もし自分がMEGA MILLIONが、当たってしまったら、どうしましょう!


祈り

 ユダヤ民族がモルデカイやエステルの働きによって守られましたが、歴史は常に神の聖なる民である、ユダヤ民族を、この世から取り去ってしまおうとサタンがやっきになっている事を理解致します。しかし、主の摂理によって、必ずアブラハムの子孫、ユダヤの民が全民族に平和を送る時がきますように。主の再臨をお待ちしております。アーメン  

文:森 宗孝


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