コリント人への手紙第二8章は、エルサレム教会への献金について語られています。当時のエルサレム教会は非常に困難な状況にあり、援助を必要としていました。
エルサレム教会のユダや人たちは、イエスをメシアとは信じない、それどころかイエスをユダヤ当局によって公式に処刑された犯罪者だと思うようなユダヤ人に囲まれて、敵対な状況の中で生活し、経済的にも困窮していました。そのようなユダヤ人クリスチャンを、異邦人のクリスチャンが助けること、それこそがユダヤ人と異邦人の和解の証しだと信じてパウロは異邦人教会において必死になって献金を集めていたと言われています。
マケドニアの諸教会(テサロニケ教会とピリピ教会のこと)の人たちの熱心な献金のことをかたったパウロは、今度は最も重要な方、イエス様の模範をしめされたのです。
「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」9節
富んだイエス様があなたがたのために貧しくなられたように、富んだあなたがたコリント教会の人たちも、貧しいエルサレム教会のために与えるのをおしんではならないと、パウロは述べています。さらにパウロは語っています。
「喜んでしょうと思ったとおりに、持っているものでやり遂げてください。」11節
ある解説者は語っています。
パウロはこのエルサレム教会への献金のために命を懸け、そして実際にそのために命を落とした、それくらい重要な事柄でした。パウロは、この献金をどうしてもエルサレム教会に自分自身の手で届けたかったのです。なぜそこまでするのかというと、それは、「ユダヤ人も異邦人もない」教会で、民族の垣根を乗り越えた、世界中のあらゆる民族が一つとなる教会ということだと言われています。
愛する天の父なる神さま。あなたの御名を心からほめたたえます。
今日の御言葉を心から感謝します。私たちも、喜んで与えることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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