『生ける神の宮』
私たち信者の目標は、どこにあるかと言うと、主と共に住み、主イエスのみもとで主の民となることではないでしょうか。そして、それはすでに私たちの身に起こっている出来事、つまり聖霊が私たちの内に住まわれている事は、すでに心の中に主の霊がおられるのですから、肉の身体はまだまだ、この世にいるのですが、私たちの魂には、すでに主の霊がおられるので、私たちは「生ける神の宮」ですよ、とパウロはコリント教会に語りかけています。
5章でも、主が私たちの間に住むという原語は、私たちの間に幕屋をはるという意味ですと言っていますが、ここで出エジプトとこの6章16節を比べてみましょう。
出エジプト25章8節「彼らにわたしのために聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。」と主はモーセに告げられて、民は指示通りに幕屋を造り、その中の聖所に、主なる神が臨在されたのです。
IIコリント6章16節「神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」
神は霊ですから、ユダヤ民族が天幕を造り、そこのもっとも聖なる清い場所の聖所に、神は臨在されたように、私たちの心、魂のなかにあたかも天幕をはって、罪ある世界から聖別し、もっとも聖なるキリスト、しかもご自分をいけにえとして捧げてくださった十字架のイエスを心におくことによって、そこが最も聖なる場所となって、主なる神が、幕屋の聖所に住まわれたように、私たちの中に臨在してくださる、つまり私たち自身が、神の宮となっていることを理解しなさいと語りかけているのです。
ですから、私たちは神の宮なのですから、不法な者、悪しき者、闇の者と交わってはいけませんとコリント教会員に忠告しています。15節にキリストとベリアルに何の調和があるでしょう。と書かれていて、このベリアルという言葉が悪しき者、闇の者、悪霊を表しています。(箴言6:12にあります「よこしまな者」新改訳の原語はベリアルです。参考)よこしまな者と交わってはいけない、なぜなら私たちはすでに、主イエスの聖霊が内住している神の宮という、なんと明快なパウロの説明ではないでしょうか。
神の宮である私たちは、人をだます者のように見えても、真実であり(これは福音を述べ伝える時に、まるで相手をだますように見えることを指しているのでしょうか。)でも真実を伝えているのであり、人に知られていないようでも、よく知られている。10節がクリスチャンへの良い表現ですね「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。」これが私たちクリスチャンなのだと、とても良く主イエスを信じる者を表していると思いました。
祈り
私たちは、主イエスの霊がすでに住んでおられる、神の宮が心の中に建てられている、神聖な聖所があって、主が共におられ、神の子とされていますことに感謝致します。よこしまな者との交わりをさけ、真理のことばを語り、神の力により前進致します。 アーメン
文:森 宗孝
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