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2025年12 月19 日 イザヤ書9章

  • hccnichigo
  • 2025年12月19日
  • 読了時間: 2分

「しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられる。彼らは、刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜ぶ。あなたが、彼が負うくびきと肩の杖、彼を追い立てる者のむちを、ミディアンの日になされたように打ち砕かれるからだ。まことに、戦場で履いたすべての履き物、血にまみれた衣服は焼かれて、火の餌食となる。ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(1‐7抜粋)


 イザヤが活躍した時代、イスラエルの民は不安と恐れの中にいました。戦争や政治の混乱など、将来が見えない状況にありました。そのような民のためにイザヤは「苦しみのあったところに闇がなくなる」と語りました。そして「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く」と語りました。これは、世を照らす真の光を民に与えるという神の約束でした。イザヤはさらにその光をもたらすお方について、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる」と言われました。このイザヤの預言からキリスト・イエスの誕生までの期間は約700年と考えられています。日本の歴史で例えるなら、鎌倉時代から現在ということになります。人間にとってはとてつもなく長い時間ですが、神にとっては一瞬だと言います。神の約束は神の時に必ず成就することを覚え、予定通りではなかった、期待したような成果は得られなかった、と一喜一憂する日々から自らを解放し、ただ主を信じて待ち望む生活へと導いていただけるように祈りたいと思います。


祈り:愛する天のお父さま。イエスさまだけを見上げて生きる道を歩みたいと願います。どうかその道から逸れぬよう、あなたの光の中にとどまる生活ができますよう、聖霊さま、支え導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:アイゾン直子


 
 
 

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