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2025年12月9日 テモテの手紙第二3章

  • hccnichigo
  • 2025年12月9日
  • 読了時間: 3分

『信仰の失格者』


 終わりの日には困難な時代が来るとパウロは語ります。私たちの住む、今の世はどうでしょうか。終末に向かって進んでいると感じるのは自分だけでしょうか。 人々は自分だけを愛し、金銭を愛し、恩知らずで、聖書の教えと戒めを破る、汚れた者になります。とは、パウロは直接的には、ローマ帝国の道徳的な没落を示しているのかもしれませんが、すべての人類の歴史を見ると、いわゆる文明、文化が進みところには、必ず道徳が没落してゆくのを見るのです。聖書の説く自由とは、自分勝手に思うがままに振る舞う自由ではなく、主に仕えるしもべとして、本当の自由が得られる。本来あるべき人間の姿に戻ることが、自由となる道であって、人と人との関係における自由ではなく、神と人との関係が和解した時に起こる自由をさしています。


 パウロは、テモテと一緒に伝道の旅をしたことを思い起こしていて、よくテモテが降りかかった迫害や苦難=に耐えてついて来てくれたと回想していますが、このテモテの第二の手紙が、牢獄に繋がれているパウロの最後の手紙となったのです。お医者であるルカだけが、パウロと一緒に居ると描いています。


 皆さんも、クリスチャンTVのドラマである「The Chosen」をご覧になられた方もおられるかもしれません。この中には、なぜ牢獄に繋がれたパウロのもとに、ルカが一緒に居ることが出来たのかという理由を、リアルに描いています。聖書には出てきていない話ですが、お医者であるルカが、この牢獄を管理するローマの隊長の病気の子供を救うという設定で、その事があったので、ルカだけが特別に、パウロの繋がれている牢獄に入ってゆき、パウロのメッセージを筆記することができたという物語なのですが、確かに神のなさったことで、ルカが最後までパウロの筆記をすることができたのは奇跡であります。ローマ市民権を持っていたパウロは、残虐な刑である十字架刑につけられることはありませんでしたが、皇帝の命令で、最後には斬首刑となったのです。しかし、朽ちる身体を失いましたが、パウロは決して、主への信仰の失格者ではありませんでした、むしろキリストとともに死んだのですから、キリストとともに生きることになった、主イエスの愛する使徒であります。キリスト・イエスにあって生きようと願う者は、みな迫害を受けると警告していますが、良き働きにふさわしく、天では栄冠をうける希望も語っているのです。この世は神よりも、快楽を愛する者、自分だけを愛する者が増え続けます。しかし、強くありなさい、皆が離れて行ったとしても、主イエスに在って( In Christ)強くあれと、自分の身をもって示されました。


 裏切り者のイスカリオーテのユダの代わりに、くじ引きでマッティアが12使徒として選ばれたのですが、本当の12番目の選ばれるべき使徒は、パウロではなかったのかと囁かれています。自分の死を目の前にしても、主イエスに従順であり、愛弟子テモテと教会の信者たちを愛したパウロ、確かに、主イエスにとって、パウロは12弟子の一人であったろうと思うのです。


祈り

私たちは、特別な使命を帯びて遣わされた使徒ではありませんが、主イエスに学ぶ弟子であります。どうか主のみことばを学び、戒めを守れますように、主イエスを愛し続ける心を常に与えて下さい。アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

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