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2025年12月20日 イザヤ書10章

  • hccnichigo
  • 2025年12月20日
  • 読了時間: 2分

 神様はアッシリアを神様の裁きの道具として用いられた。神様は、アッシリアを神様を敬わない国に送り、滅ぼさせた。その手はユダにまで及んだ。それは、ユダの支配者たちによる罪があったからだ。アッシリアは神様の意図など知る由もなく、欲望のままに他国を滅ぼしていった。アッシリアにとって完全無敵と思えるその状況に、それは自分の知恵と力によるものと考えていた。そして、彼らは自分の知恵と力を諸国の民を貶めることに使った。


 その高慢な思いを神様は見逃すことがなかった。たとえイスラエルの民でなくても、神様は罪を裁かれる。一日のうちに彼らの誇りとしていたものを打ち砕き、神様によって倒されると予言されている。人間の力などそんな程度なのだ。どんなに万能に思えても、そんなことはないのだ。


その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家の逃れの者は、もう二度と自分を打つ者に頼らず、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。(20)


 神様の介入は、偶像礼拝から離れることのできなかったユダの民の心を、神様に向き直させることが目的だったのだ。


たとえ、あなたの民イスラエルが海の砂のようであっても、その中の残りの者だけが帰ってくる。壊滅は定められ、義があふれようとしている。すでに定められた全滅を、万軍の神、主は、全地のただ中で起こそうとしておられる。(22、23)


 神様の知恵がなんと深いのかということを思わされる。すべての国民の罪に対して罪の裁きを行い、そして、神様に立ち返らせる。どの国民も神様の裁きから逃れることはできない。この裁きは、神様を知らない人々にも、真の神様の偉大さを知らせることにもなったと思う。すべてを治めておられる主なる主、神様によってすべてが立て直されていく。どんな人間の知恵も力も神様の前には歯が立たない。神様におできにならないことは何もない。困難の時に、神様以外を頼みにすることによって、人間の心は傲慢になり、さらに罪を犯していく存在であることも思わされた。


天のお父様、全知全能なる神様により、今日もすべてのことが治められていることを感謝いたします。その神様に今日も守られ歩ませていただいていることを思います。神様はどんな小さな思いであっても、正直にシェアしていくことを望んでくださっています。その中で、私を探り、傲慢さを取り除き、傷ついた思いを癒して下さい。平穏な日々でも、困難の中に置かれても、神様をまず求め、頼る者であらせて下さい。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

 
 
 

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