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2025年11月17日 伝道者の書7章

  • hccnichigo
  • 11月17日
  • 読了時間: 3分

『この地に正しい人は一人もいない』


 そもそも、伝道者の書もその前の箴言も、ソロモン王が著者とするなら、内容が、それぞれ似たような「知恵」について二つの書とも描かれているのに、それが一つにまとまらずに、なぜ二つの書に分かれたのだろうか。それは、箴言がソロモン王の若き日に、神の知恵の素晴らしさ、人生はどう生きるべきかを教えたのに対して、伝道者の書は、ソロモン王の晩年、自分自身は数々の間違いを経験し、苦い思いをした後に、結論として、神なき知恵の虚しさの悟り、人はなぜ生きるのか、神を恐れることがすべての土台となっていることを悟った書が伝道者なのです。


 そのような視点で見ると、例えば2節「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。生きている者が それを心に留めるようになるからだ。」という一句は、晩年のソロモン王の悟りを表しているように、思うのです。14節「順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。」熟年層になった、自分にとってなんとなく、理解できるようでもあり、納得できないようでもある一句です。


 そうして、人はなぜ生きるのかを説いた知恵満ちたソロモンが、たどりついたこの世に対する結論は、実に使徒パウロの視点と同じく、20節「この地上に、正しい人は一人もいない。善を行い、罪に陥ることのない人は。」これはローマ書でパウロが描いているローマ3章9〜10節「私たちにすぐれているところはあるのでしょうか。全くありません。私たちがすでに指摘したように、ユダヤ人もギリシャ人も、すべての人が罪の下にあるからです。次のように書いてあるとおりです。「善人はいない。一人もいない。」ですから、善人のいない私たちは、聖なる神を求め、主による救いが必要となるわけです。


 知恵で満ちたと言われるソロモン王が、晩年に悟ったことは、私は知恵ある者になりたいと願ったが、とても及ばず、遠く深い神の知恵に、自分の無知が分かったということなのです。私たちも、聖書を学び、主の意図を理解したように、一瞬でも思うのですが、実はまったく理解していないことを悟らされる、不思議な矛盾ですが、自分自身が、いかに小さい者であるかを思い知らされる、この7章であります。


祈り

自分がいかに無知であることが分かったとしても、そのような自分を愛してくださる主に感謝いたします。どのような者でも、罪のない者がこの世におりませんが、父なる神が、われわれの似姿に造ろうとされ、命の息吹をかけられた人間というだけで、欠点も罪も持つ自分を、すでに愛して下さっていることを心から感謝致します。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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