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2025年10月23日 箴言13章

  • hccnichigo
  • 10月23日
  • 読了時間: 2分

「期待が長引くと、心は病む。

 望みがかなうことは、いのちの木」12節


「望みがかなえられるのは心地よい。

 愚かな者は悪から離れることを忌み嫌う。」19節


 12節の御言葉と19節の御言葉に心が留まりました。

ある戦争のドラマが思い出されました。敵の陣地にとらわれて過酷な労働を虐げられていた兵隊達は、必ず味方が救出してくれると期待し待ち望み続けました。しかし味方はいくら待っても救出に来てくれませんでした。彼らは、それが期待外れと知った時に、心が病んでいってしまって自ら命を絶って行く者となってしまったのです。味方が救出しに来た時には、すでに遅しで全員が自ら命を絶ってしまっていたという悲しい結末でした。心の病は、期待したのがその通りにならなかった時(つまり期待外れになった時)におこると言われています。


 ある年配の方が言われていました。「物事にあまり期待するな。期待外れになった時に心の病から抜け出せることは用意なことではないからだ。」

 私も何度か期待外れの時が多々ありました。とてもショックで、ふさぎ込んだ時がありました。もう自分の生きるすべはないというほど落ち込んだ時がありました。でも、私たちクリスチャンがそういう状態になった時には、イエス様の十字架に飛び込んでいくことができるという特権が与えられています。祈ってくれる信仰の兄弟姉妹たちがいてくれます。主の御言葉に聞き従って、祈り、期待し待ち望んでいくことができるのです。


「望みがかなうことは、いのちの木」

 期待外れの苦しみ、悩み、に比べて「望みがかなったとき」には心が幸せになります。それは、まるで心が喜びと元気といのちに輝く「いのちの木」だと言われています。主が共に喜んでくださっておられることだと思います。


 天の父なる神さま。

私たちの思いが期待外れになっても決してあきらめずに、常にあなたを呼び求めて、期待し待ち望んでいくことができますようにお祈りします。又、悪から離れることを喜ぶ良い者になれますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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