エステル記2章では、エステルが王妃になる経緯が記されています。
しかし、1章でのクセルクセス王の高慢な態度に見事「NO」の態度を示した先王妃ワシュテイがとても勇気のある行動をとったと思いました。しっかりと自分を持っている彼女に拍手を送りたい気持ちがおこさせられました。
聖書の中でこのエステル記とルツ記のところにくるとホットします。聖書を小説を読むみたいな気持ちで大変申し訳ないですが、心が和んでくる思いがして大好きです。ちなみに、ルツ記に出てきたボアズがキリストを思いおこさせたように、エステル記ではエステルがキリストを思わせる人物として描かれているそうです。余談になりましたけど、ついにエステルの登場です。彼女は幼くして両親を亡くして叔父のモルデガイに引き取られ、彼に教育されていき立派な美しい女性として成長していきました。そして、クセルクセス王の目にかない王妃となっていきます。彼女は、自分の出生を決して明かさなかった。これは、叔父のモルでガイが彼女に命じておいたからである。
なぜ自分の出生を明かさなかったのかというと、彼女はユダヤ人でした。異教の社会においても唯一の神を信じ、独特の文化と生活習慣と頑なに守っていたユダヤ人に対しては、古今東西、激しい迫害が加えられてきました。エステルの叔父のモルデガイは、王宮の警護をしていたエリートで、この危険性を十分に承知していたのでエステルに出生の秘密を守るようにと言われていたそうです。一言でいえばエステルにとっては危険な道だったと思います。クセルクセス王に知れたら死をも免れなことだったと思います。そのようなことに歩むことができたのは、叔父のモルデカイを信頼して、彼の言葉に従っていったからできたと思います。叔父とエスエルの信頼関係の背後には、神の働きがあったのでしょう。
クセルクセス王の暗殺計画がエステルの叔父のモルでガイが知り、そのようなことをエステルを通して、王にモルでガイの名でそれを伝えました。そのことによって、王の暗殺計画は未遂で終わったのである。このような重要な働きをした叔父の名前をだすエステルの賢さが表されています。人と人との信頼関係を持つことはとても大切で難しいことでもあります。今日でそのようなお互いの信頼関係をもつことができるのは、主にあって持たせていただけるようにと祈っていくことだと思います。
主の御名をほめたたえます。私たちの信頼する方はただ主なる神だけです。でも、この世で人と人との信頼関係を持つことも必要不可欠です。そのようなときには、主にあって、御言葉に信頼して、他者との信頼関係を持たせてくださいと祈ることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
コメント