『御計画』
エステル記一章では、ワシュティ王妃退位の経緯が記されている。二章から登場するエステルの序章ともいえよう。
日本の歴史にも女性が政略結婚の道具として、物のように扱われた時代があった。あるいは戦争の勝利品として、または借金のかたとして売られるなどもあった。
どのようにしてワシュティが王妃に選ばれたのか記されていないのでわからない。見目麗しかったことは事実のようだ。
クセルクセス王の統治3年目(482BC)、インドからエチオピアまでという広大な土地を有したペルシャ帝国である。帝国は127州からなり、州の重鎮が呼ばれ宴会が6ヶ月にわたり催された。この宴会は、ギリシャとの対戦前に連合団結の意図があったそうだ。場所は四つの首都の一つシュシャン(スサ)、現在のイランで行われた。
この後7日間にわたり城内の民に宴会を催した。王はワインで陽気になり、宴会に、王妃が王冠をつけて、登場するように命令した。王は王妃ワシュティの美しさをみせびらかしたかった。一説によると「王冠だけをつけて」つまり裸で登場するよう命令された、との解説もある。
事実や正当な理由はわからないが王妃ワシュティは、それを拒み宴会には表れなかった。
この時代の王の命令は絶対である、たとえそれが、王が酩酊状態であった時の命令でも。
クセルクセス王は、妻が夫である王に従わないことに怒り、「法律と審判に通じている者」7人と相談しワシュティ王妃を退位させた。
ワシュティがいなくなった宮廷に王妃として選ばれたのが、美しいユダヤ女性エステルである。エステルが登場し、ユダヤ人を悪徳宦官から救うために、ワシュティの退位は神様の計画には必要不可欠であった。
天の父なる神様、
あなたの御計画は私たち人間には不当と思われることもあります。戦争や災害や病気などがそれかもしれません。それでもあなたは、私たち一人一人への計画があり、それは良いもので将来の希望を与えるものだと、書いてあります。それらが織りなす壮大な御計画があることでしょう。私はあなたを信じています。人々が平等にお互いを尊重しながら生きていけますように。これからも導いて下さい。主イエスキリストの御名により祈ります。アーメン
文: マッカーター政子
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